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チンギス・ハン―モンゴル帝国をきずいた草原の勇者 [人]

読み聞かせ時間 小4と小6、自分で読んで25分
ウケ度 ちょっと難しかったみたい
印象度 チンギス・ハンは意外と戦いには弱い

モンゴル高原のの部族の単位
ヤスン(氏)・・・血縁関係のあるいくつかの家があつまってつくる。
オボク(族)・・・ヤスンがいくつか集まってできた社会集団
クリエン・・・オボクがそのまま軍事集団になったもの。

12世紀の中ごろ、モンゴル高原には、モンゴル族、タタール族、オンギラト族、メルキト族、オイラート族、ナイマン族、ケレイト族など多くの部族がいて、戦いを繰り返していた。

モンゴル族キヤト氏の長イエスゲイ・バアトルは勇猛でしられ、近隣の族長にも一目置かれていた。
のちのチンギス・ハン、テムジン・ウゲはイエスゲイの長男として生まれ、イエスゲイはその日戦ったタタール族の勇者の名を彼につけたのだという。
目に火あり、顔に光ある、すばらしい人相で、手に血の塊を握ってうまれたので偉大な王になると予言された。
生まれた年は諸説あるが、1162年が有力視されている。

テムジンが9歳のとき、父親のイエスゲイはテムジンの花嫁を探しにいく。
当初母親の故郷オルクヌウト氏の集落を目指したが、途中でオンギラト族のゲルに出会う。
遊牧民の礼儀として、ゲルをみつけたら立ち寄ってあいさつし、ゲルの住人は旅人をもてなすというものがあり、イエスゲイもこのゲルに立ち寄った。
ここで出会ったボルテを気にいったイエスゲイはテムジンの花嫁に決める。
ならわしに従ってテムジンはボルテたちのゲルに預けられ、父親は家に引き返す。

しかし、イエスゲイは帰る途中でタタールのゲルに礼儀通りのあいさつをした際に毒をもられて亡くなってしまう。急ぎ家に戻ったテムジンだったが、まだ幼いテムジンに従うことを拒否した仲間たちは一家を残して去ってしまう。
テムジン一家は、母親とテムジンの弟3人、妹1人が力をあわせ、なんとか生きぬいていく。

しかし、一家をみすてたタイテウト氏は、テムジンが成長するにしたがって不安になり、とうとう一家を襲い、テムジンを殺そうとする。一家は勇敢にたたかうが、テムジンはとうとう捕まり、しばられて集落をひきまわされる。テムジンは隙をみて逃げ出し、川に身を沈めて隠れる。これにきずいたソルカン・シラはテムジンをかばって逃がしてくれる。

一家はブルカン岳の南、悪魔の棲む山と恐れられるグレルグウ山とから・ジルゲン山のふもとココ・ナウル(青い湖)に移動する。
ここでかつてアンダの誓いをしたジャムカに再会。アンダの誓いは遊牧民が兄弟のようになかよくしするという誓いでした。
また馬泥棒にあったとき、いっしょに探してくれたアルラト氏のナクウ・バヤンの子ボオルチュとノコル(友達)となる。などの出会いがあった。
生活も安定したテムジンはボルテを花嫁にもらい、ココ・ナウルからケルレン河のみなもとにあるブルギ河に移り住みます。ボオルチェやソルカン・シラの二人の息子チンベとチラウン、ジャルチウダイという人物がテムジンが生まれたときに祝いに差し出した息子ジュルメらがあつまり、集落の形をなしていく。

それとともにタイチウトはじめほかの部族に狙われる可能性がでてきたため、父のアンダであったケレイト族の部族長トオリル・ハンに保護を求める。交渉はうまくいき、テムジンはトオリル・ハンと手を結ぶ。同時にトオリル・ハンの集落にいたジャムカと再会する。ジャムカはジャダラン氏の長になっていた。

ある日、メルキト族がテムジンの集落を襲い、ボルテが連れ去られる。
テムジンはトオリル・ハンとジャムカに援助を求める。
三人の軍はメルキト族をさんざんに打ち破り、ボルテを取り戻し一方的な勝利を得る。
それは初めてテムジンが目の当たりにした戦いで、禍根を立つために相手の部族を皆殺しにするものであった。テムジンは遊牧民が一つにまとまり、こうした戦いがなくなるとよいのにと考える。

戦いのあと、ジャムカとテムジンは一緒に集落を構えるが、ジャムカはもともと2万の部下をひきいいていたせいか、テムジンの部下も自分の部下のように扱いみなの不興を買います。こうした行動からジャムカよりテムジンの人望のほうが高まり、しだいに二人の仲はわるくなります。
テムジンはジャムカと別れてココ・ナウルに集落を構えます。メルキト族を破った英雄の評判をきいて、ボオルチェの弟、ジュルメの弟、さらには以前に一家をみすてた親類までもが集まってきます。

1189年(予測)モンゴル族の長老が集まって開かれるクリルタイという族長会議で、テムジンはモンゴル族の王、ハンに選ばれる。
ケレイト族のトオリル・ハンは容認するが、ジャムカは快く思わず、タイチウト族と組んで13のクリエンを率いてテムジンを攻めた。テムジンも13のクリエンで対抗するが、戦いはジャムカの勝利に終わり、ジェレネ峡谷に撤退する。
しかしジャムカは捕虜を鉄なべで煮たり、裏切り者の首を切り馬の尾につないでひいたりしたので、人望をうしない、テムジンの陣営には大量の投降者来るようになり、勢力は却って拡大していった。

このころ中国には女真族の国金と漢民族の国南宋が対立していた。
金は、北から遊牧民にせめこまれるのを恐れ、遊牧民同士が憎み合うような働きかけを続けていた。
1194年、金の死者耶律阿海がトオリル・ハンとテムジンを訪れ、ともにタタール人を討とうと持ちかけます。
テムジンは金の腹をよんでいましたが、父の仇をうつため参加。タタール族を破る。タタール人は金との交易でたくさんの財宝をもっていたが、それを見たテムジンは「この豊かさをすべてのモンゴルの民にわけてやりたいものだ」という。また、金から称号が与えられたとき、小躍りするトオリル・ハンに対して、「何の役にも立たない称号ではよろこばないが、父の仇がうててうれしい」という。これを聞いた耶律阿海はテムジンの部下になることを決意する。

その後も、トオリル・ハン(金からワン(王)の称号をえて、ワン・ハンに改名)や金と結び敵対部族を破ったテムジンはワン・ハンと肩をならべる勢力に成長する。
1201年テムジンに対抗するタイチウト族、オイラート族、ナイマン族などは、ジャムカをハンに選び、ジャムカはグル・ハンを名乗る。

ワン・ハンとテムジンの連合軍とグル・ハン率いる諸部族連合軍はタタールの遊牧地コイテンで激突。テムジン側が勝利をおさめ、テムジンは宿敵タイチウト軍を滅ぼすが、このときテムジンは毒矢にあたり、死にかける。テムジンを救ったのは中心ジュルメで命の危険も顧みないで毒の血をすいだしてくれたのだった。
また、矢をあてた兵士はのちに捕まって、テムジンの部下となりジュベ(矢)と名乗るようになる。

戦いに敗れたジャムカは、ワン・ハンやナイマン族をそそのかしてテムジンと戦わせるが、このころにはテムジンの陣営には、武将がそろいもはや対抗できるものはいなかった。ナイマン族がウイグル文字を使っていたことから耶律阿海の勧めもあり、テムジンはこれを取り入れることにする。
ジャムカも部下の裏切りにあい、テムジンのところに連れてこられる。
テムジンはもう一度協力しようというが、ジャムカは死を選び、テムジンは泣きがなら貴人の処刑(袋にいれて上を馬に走らせる)方法でジャムカを処刑した。

1206年草原のすべての部族があつまったクリルタイが開かれ、テムジンはハンに選ばれてチンギス・ハンと名乗る。
チンギス・ハンは遊牧民同士を戦わせてきた金を討つことにするが、その前に西夏に軍をだす。
4年かけて西夏の黒水城(カラホト)を責め落とし、首都康慶を取り囲む。西夏は降伏し王女を差出、貢物と軍事協力を約束する。チンギス・ハンは降伏をうけいれるが、裏切ったらただちに攻め滅ぼすと告げる。
1211年万里の長城を超えて金を責める。耶律阿海は同じ契丹人を説得して裏切らせ(この中に耶律楚材もいた)、戦いは有利にすすみ1214年には金は皇女を差出貢物をだすとして降伏する。チンギス・ハンは耶律阿海の妻子を返すことを条件に加えて耶律阿海の働きに報いた。
1215年には金の皇帝が都をぬけだして、南に逃げたので、抜け出した都を攻めて黄河から北の中国を手に入れる。

1218年国は広大になり、民を養うためにチンギス・ハンは交易によって富を得ようとするが、ホラズム王国に使者にだした使節団がオトラルという町で全滅。
1219年おこったチンギス・ハンはホラズム王国に遠征。オトラルついでサマルカンドを攻め落とすが、国王ムハマンドと王子ジェラール・ウッディンは西に逃げ出した。
二手に分かれたチンギス・ハンの軍は王と王子をおって、インダス川のほとりやイラン高原から南ロシア一帯まで遠征。王子は見事な戦いぶりがチンギス・ハンに認められインダス川で見逃され、王はカスピ海の小島まで逃げて1220年病死。

1226年にはホラズム攻略に加わらなかったとして西夏に軍を起こす。
しかし、康慶をとりかこんでいる最中に病にたおれ、オゴタイをハンに指名して、耶律楚材に政治の相談をするように、死んだことは棺がブルカン岳に帰るまで秘密にしろと言い残して、1227年この世を去る。
帝国はその後拡大をつづけ、4人の息子とその子孫がうけつぐがモンゴル高原以外の国はやがて滅んだ。

1990年、モンゴル人民共和国は、モンゴル・ウルスと国の名をあらため、チンギス・ハンの国がよみがえることとなった。

モンゴルの遊牧民独特の考え方があるので、直線思考の息子たちにはわかりにくかったかも。
兄弟や親せきなのに裏切ったり、また仲間になったりするからな。
チンギスハンは最初のうち戦いにはあまり強くないしね。
人望で仲間が集まって強くなるって、子供にはわかりずらいかな。



チンギス・ハン―モンゴル帝国をきずいた草原の勇者   学習漫画 世界の伝記

チンギス・ハン―モンゴル帝国をきずいた草原の勇者 学習漫画 世界の伝記

  • 作者: 古城 武司
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1992/11/20
  • メディア: 単行本



タグ:古城 武司
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