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ガリレオ・ガリレイ―「それでも地球は動く」といった物理学の父 [人]

読み聞かせ時間 大人が読んで15分
ウケ度 こどもたちが読んでいないんでわからない。興味がないのではなく、時間がなかったみたい
印象度 大体しっていたとおりだった

ガリレオ・ガリレイは1564年イタリアのピサで生まれた。
家はもともとフェレンツェの小貴族だったが、このころは没落していたらしい。
父親は音楽家であったが、生活はあまり豊かでなく、毛織物を扱う商売もしていたらしい。

父親からリュートなどの手ほどきをうけ、9歳から私塾のような学校に通った。
しかし7人に子供を抱えるガリレイ家の生活は苦しく、10歳のとき父親がフェレンツェの宮廷で音楽を教えることになったので、うつることになる。

フィレンツェでは、バロンブローザの聖マリア修道院で寄宿しながら勉強をすることになった。
ピサの私塾と違ってラテン語が中心で数学は教えておらず、科学ではアリストテレスの学説が確かめられもせず教えられていた。

ガリレオは大学で科学や天文学を勉強したがったが、家には余裕がなかった。
しかし父親は医学を学んで医者になるようにといって、ピサ大学の学費を工面してくれた。
ピサ大学でもアリストテレスの教えが絶対と教えられており、ガリレオは失望する。
父親の「心理を求めるならどんな権威にも立ち向かっていく勇気と知恵をもて」という言葉をたよりに勉強をつづけ、19歳のとき聖堂のシャンデリアのゆれから「振り子の法則」を発見し、実験で確かめる。
そんななか、とうとう父親が学費を払えなくなり、ガリレオはピサ大学をやめることになる。

家に戻ったガリレオは近所の病人をみたりしてお金を稼ぎながら独学をつづけ、ものの重さや密度を図りだす比重計を発明したり、石や鉄などの個体には必ず重心があるなどの理論を発表。科学者として認められるようになり、デル・モンテ伯爵の推薦でピサ大学の講師になる。
伯爵の他にも数学者のオスティリオ・リッチらがガリレオを応援してくれるようになる。
ピサ大学では有名なピサの斜塔からの落体実験をおこない「落体の法則」を発表。
古い学説を学ぶばかりではなく、実験と観察で検証する大切さを教えた。

1591年、27歳のとき、最大の理解者であった父親を亡くす。
またピサ大学との契約もきれ、収入のないまま家族を養わなければならなくなる。
しかし、デル・モンテ伯爵らの計らいでパドバ大学の教師となり窮地を脱する。

パドバ大学は真実と知識を重んじる自由な雰囲気をもつ大学で、給料もピサ大学の3倍になり、ここでガリレオは学者としての黄金時代を迎える。
当時は大航海時代を迎え、宗教の世界ではマルチン・ルターが始めたプロテスタント運動が広がり、カトリックとの宗教論争に発展していた。そんな中アリストテレスの説をかたくなに信じる学派はカソリックと結びつき、天動説を唱えていた。しかし天体の観察などから次第にコペルニクスの唱える地動説が有力となり、協会の中でも地動説を支持するブルーノなどが現れる。これに対してローマ法王はブルーノを火あぶりにするという弾圧を加える。

当時ガリレオも地動説を支持しようとしていたが、友人のサルビの説得などもあって、公には話すのを控えるようになり、温度計の発明などにとりくんだ。
1604年、パドバの上空に見たこともない明るい星(超新星とおもわれる)が現れる。アリストテレス学派は月のかなたの空間にはなんの変化もおこらないとアリストテレスが述べているので、あれは月に反射した太陽の光である」といったが、ガリレオは「新しい星である」と反論。アリストテレス学派の怒りを買うことになる。

1608年オランダ・ミドルブルクの眼鏡屋で遠眼鏡が発明され、ガリレオはこれを改良して望遠鏡と名付け、月の観察をして、クレーターなどを発見した。また木星を観察して衛星を発見。
月の表面は地球ににていること、ほかの星にも衛星があることなどから、地球は特別な星ではなく、ふつうの星であることに確信をふかめ、ますます地動説への確信を深める。しかしこの発見をまとめた本「星からのたより」でもその立場を明確にはしなかった。

「星からのたより」はメディチ大公にささげられ、このことからガリレオはメディチ大公の計らいでピサ大学に戻ることになりフィレンツェに引っ越す。
フィエレンツェでも望遠鏡で金星、土星、火星、太陽と観察を続け、黒点の発見などをする。このときレンズにすすをつけた太陽メガネや、穴を通った太陽光で太陽を観察する方法などを使った。しかしこのときの観察がもとでのちに失明したといわれている。
「太陽の黒点に関する覚書」を発表。
また、学問をより広めるため、本をラテン語でなくイタリア語で書くことを決意する。

1611年、ローマ法王パウロ5世と対面。法王とともに月や木星を観察し望遠鏡を送る。
これで立場がよくなったと思ったガリレオだが、弟子にあてた手紙で地動説を支持していることが法王庁に発覚。呼び出されて裁判にかけられ、地動説を口にすることを禁止する判決にサインさせられる。

すっかり気落ちしていたガリレオだが、娘ビルジニアの励ましなどで、次第に元気を取り戻し
「天文対話」を発表する。この中では地動説支持者の学者が、天動説支持者の学者をコテンパンにしており、これが再び法王庁で問題視され、ガリレオは再び呼び出されることになる。
悪いことにこのころかわいがっていた長女ビルジニアをなくす。また39歳で発病してから患っていたリューマチが悪化。
そんななか1632年51歳のときローマで裁判をうける。「天文対話」は禁書とされ、ガリレオは牢屋にいれられる。しかし、法王庁がなんといおうと地球はうごいていると確信するガリレオは牢屋のなかでも本を書き続け、彼の名声を慕ってくる学者などに会っていた。
目が不自由になったため、息子ビンツェンチオの世話で、本は弟子トリチェリが口述筆記した。
1636年7歳のとき「新科学対話」を発表。このころには両目を失明していた。本はイタリアでは出版できなかったので1638年オランダで出版された。
1642年弟子と息子に看取られ息を引き取った。この年にイギリスでアイザック・ニュートンがうまれている。

1989年にはローマ法王、ヨハネ・パウロ2世がガリレオの迫害は間違いと発言。その名誉が回復された。


ガリレオ・ガリレイ―「それでも地球は動く」といった物理学の父   学習漫画 世界の伝記

ガリレオ・ガリレイ―「それでも地球は動く」といった物理学の父 学習漫画 世界の伝記

  • 作者: 熊谷 さとし
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1992/11/20
  • メディア: 単行本



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