SSブログ


1000万人の絵本ためしよみサイト|絵本ナビ

一休さん とんちで名高い禅宗の僧 (学習漫画 世界の伝記) [人]

 一休さんは、1394年、南北朝が統一されたときの北朝の帝、後小松天皇と南朝の重臣藤原氏の娘、伊予の局の間に生まれた。母親が南朝出身だったため、まだ母親のおなかにいる間に宮中をおいだされ、さらに5歳の時、京都伏見の近くにある禅宗の安国寺に出家させられる。幼名は千菊丸、出家してからは周建と呼ばれた。
 禅宗は6世紀のはじめ、達磨大師が中国に伝え、12世紀に栄西、道元らによって日本に伝えられた宗派で、厳しい修行をする。朝は4時に起きて、お勤めと掃除をし、午後はお経の勉強。食事は1日2回で粗末なもの。周建はきびしい修行に耐えていた。
 このとき、和尚さんがこっそりの水あめをなめていて、小僧たちには毒だといったというエピソードがあったらしい。後日なかまの小僧が将軍義満からもらった茶碗をわってしまい。とんちで、水あめをなめて(毒だから)死のうとした、といういいわけをした。和尚さんはまるめこめたが、後日義満に呼び出されたとき、茶碗がないのを責められることになる。同行した周建は、義満が出家していると聞き、禅問答をしかけ、義満に「形あるものは必ずくだけん」のくだりをいわせてから茶碗をだして切り抜ける。さらに屏風のトラをとらえよという難問をだされ、「追い出してください」とかえしたのもこのときのエピソードらしい。周建の頭の良さを恐れた義満は、食事に肉や魚をだして食わせ、「仏につかえるものがなにごとか!」と難癖をつける。すると周建が「自分の喉は道で、八百屋も魚屋も通る」と答えたので義満が「では、刀を持った侍もとおるであろう」と切りつけようとすると、「自分の口は関所で、一生ほとけに仕え平和な世を願うのであぶないものは通しません」と答えた。それを聞いた義満は、仏に仕え自分に逆らわないと解釈し、許してくれたという。

修行にはげんだ周建は、11歳でほかのお寺でも勉強するようになり、12歳から詩を学び、そのうちの一つは今日のはやり歌になったという。
しかし、当時の仏教界は、修行や悟りはそっちのけ権力者とのコネを利用して蓄財や出世にはげむ僧がはばをきかせており、絶望した周建は寺をとびだし、西金寺の謙翁和尚に弟子入りし、名前も宗純とあらためる。畑を耕し托鉢をして厳しい修行をし、4年を過ごす。しかし謙翁和尚が亡くなり、よりどころをうしなって一度は入水自殺をしそうになるが、苦しみに我をわすれていた自分に気づき、思いとどまる。そして母のもとを訪ね16年ぶりの再会を果たす。

その後、近江の堅田の華叟和尚に弟子入りしようとするが断られ、門前に座り込み夜は釣り船でむしろをかぶって眠ること5日目、ようやく和尚が通りかかり弟子入りをたのみますが、頭から水をかけられ、それでも雪の中座り込みをつづけようやく弟子入りできた。このとき21歳。ここでも苦行と托鉢の貧しい生活をおくり、26歳のとき悟りをひらいたという。華叟は印可証(これがあると寺の和尚になれる)をさずけようとするが「悟りの証明はいらない」と断ってしまう。道号は一休を送られ、それからは一休宗純と名乗るようになる。

そのころ、義満がなくなって力の弱くなった幕府のせいで、世の中は乱れていた。
一休は謙翁がしていたように民衆のなかに入っていき、差別なく仏の教えを説いて歩いた。そして常にまずしいものの味方だったという。
はやり病の町で、薬屋がくすりの値段をつりあげていたので、「だれにもいわない」と作り方をきいて、立札に書いたり(もちろんしゃべっていない)しゃれこうべを杖につけて新年でうかれている金持ちの家にいって、「浮かれていても、みなすぐに骸骨になるのだ、ご用心」といってまわったり、印可証をばらまいて金儲けをしている坊主をこらしめたなどいろんなエピソードが残っているらしい。

極めつけは足利義政とのエピソードで、一休が65歳のとき大きな飢饉がおこり、当時住んでいた山城の薪村の村民が一揆をおこそうとしたので、5せんがんあればおもいとどまらせることができると聞いた一休は、義政のところへいって、「天智天皇が月見したときのむしろ、老子様の杖、周光坊という茶碗があるが、5せんがんで買わないか」と持ちかける。義政は招致するが、一休が翌日もってきたのは、寺にあったむしろ、かきねの竹、ねこの茶碗飯。おこった義政が切りかかろうとすると、逆にしかりつけ、「日本中の人が飢えに苦しんでいるのに茶碗とはなにごとか」といったあと「将軍からのくだされものをみな喜んでいた」と付け加えた。そして「老い先短いからだだから、切りたければどうぞ」というと、義政も「もうよい」とひきさがったという。

その後も世の中の乱れは続き、1467年応仁の乱が発生。
1474年には一休は80歳で後土御門天皇の命で、大徳寺の住職になるが、その後も薪村の酬恩庵に住み続けたという。また森女とよばれる目の不自由な女性を愛し、一緒に暮らしていたという。87歳で彼女に見守られなくなった。

書や詩作に優れていた一休のもとには、たくさんの人々が教えを乞いに集まり、その中から連歌師、茶道、画家、能楽などの文化人がでた。


一休さん とんちで名高い禅宗の僧 (学習漫画 世界の伝記)

一休さん とんちで名高い禅宗の僧 (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: 堀田 あきお
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1989/09/20
  • メディア: 単行本



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

[PR]絵本・児童書 ベストセラー

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。