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キュリー夫人 ラジウムを発見した科学者 (学習漫画 世界の伝記) [人]

読み聞かせ時間 5年生男子自分で読んで20分。
ウケ度 かなり真剣によんでいました。
印象度 壮絶な勉強した、すごく頭のいい人なのね。

キュリー夫人は1867年、ポーランドのワルシャワで生まれた。本名はマリア・スクロドフスカ
マリーという呼び名はのちにフランスに勉強のためでてきたときの愛称、小さいころはマーニャと呼ばれていた。父親は数学と物理の先生で、兄弟は姉3人と兄ひとり、母親は結核にかかっており、病気を抱えながら子どもたちを育てていた。
マーニャは小さいころから頭がよく姉と勉強ごっこをするうちに4歳で本がすらすらよめるようになっていた。両親はあまり小さいうちに頭を使うのはよくないと、本を読むのを禁止した。マーニャは家にある父親の実験用具をみたりして勉強できる日を待ち焦がれていた。

当時のポーランドはロシアの支配下にあり、勉強もロシア語でおこなっていた。ポーランド語は禁止され、ロシア語がうまく話せない生徒は厳しくしかられていた。
ようやく学校に通って、本をよんだり勉強したりできるようになったマーニャだったが、覚えがよいために、ロシアの役人がくると決まってロシア語で受け答えさせられた。

マーニャの父親も、ロシア語教育に異議をとなえたといわれて職をうしなったり、財産をだまし取られ、家で生徒を教えてお金を稼いだり、苦労していた。このとき生徒からチフスが一家にうつり、姉の1人が亡くなる。2年後には結核で母親を亡くす。

悲しみを乗り越えて、マーニャは1番の成績で、人より早く女学校を卒業する。しかし、当時のワルシャワの大学は男子しかはいれなかった。
1年間の休みを経て、外国で勉強するために住み込みで家庭教師をする。しかし最初の家では勉強だけでなく、子供の世話から家事手伝いまでやらされたので勉強時間もなかった。そのため、もっと遠くの村シチューキに移る、そこのゾラフスキー一家の家庭教師になる。一家の姉妹の長女はマーニャと同じ年で二人は仲良くなく。そして、こっそりと子供たちにポーランド語を教える学校をする。

やがて父親が少年院の院長をやることになり、姉の学費の仕送りがなくなったため、マーニャはワルシャワに帰り、いとこがロシア人に隠れて開いている科学教室に通うようになる。ここでいろんな実験をして、大学では科学の勉強をすることを決める。
ワルシャワでも家庭教師を続け、6年かけてパリ行きのお金を貯めると、先にパリにいっていた姉のもとへ身をよせることになる。24歳になっていた。

パリでマリーと呼ばれるようになった。
マリーは必死で勉強するが、姉の一家はそんあマリーを心配して遊びにつれだそうとする。マリーは勉強に集中するため姉の家をでて、大学近くの7階建てアパートの屋根裏に引っ越す。
1年半で物理学の学士試験に1番で合格する。ここで生活費が切れてしまい、帰国を考えるが、ポーランド政府の援助がうけられることになり、勉強を続ける。翌年数学の学士試験に合格する。

1894年、友人の物理学者から、研究の相談相手として35歳のピエール・キュリーを紹介される。
お互いの才能にひかれあったふたりは翌年結婚。ごちそうも指輪もない質素な式で、自転車で新婚旅行にでかけた。そして、二人で研究を始める。
そしてピッチブレンドという岩から放射線物質「ポロニウム」を取り出すことに成功。さらにラジウムの存在を発表するが、実際に抽出できていなかったため、信じられなかった。二人は何トンものピッチブレンドを買い込み研究をつづけた。その間にイレーヌという娘を授かる。娘の面倒はピエールの父がみた。3年9か月をかけて、1902年二人はラジウムを取り出すことに成功。1903年に二人でノーベル物理学賞をとる。
二人はお金を取らずに科学の進歩のため、すすんでラジウムの取り出し方を教えてあげることにする。

ノーベル賞騒ぎもおさまった、1904年次女のエーブ誕生。1年後にはピエールがソルボンヌ大学の教授になり、マリーもともに大学で研究できるようになった。しかし、その年の9月にピエールが交通事故で46歳の若さで亡くなってしまう。

その後、女性として初めて、ピエールの後をついでソルボンヌ大学で教えることになる。研究もつづけ、まじりもののないラジウムを取り出すことに成功。44歳で2度目のノーベル賞を受けることになる。

1914年パリのピエール・キュリー街にラジウム研究所ができて、マリーが所長になる。マリーは娘イレーヌとともに研究をつづける。第一次世界大戦では研究を中止したが、自らレントゲンをつんで戦場をまわり、100万人を超える人を診察した。
この戦争のあと、ポーランドも独立を果たす。

1921年娘二人とアメリカに招かれ、1グラムのラジウムを送られる。
1926年イレーヌが研究なかまのフレデリック・ジョリオと結婚。(ふたりもマリーの死後1935年にノーベル化学賞を受ける。)このころから白血病を患う。当時は放射能が白血病を引き起こすことはしられていなかった。
(娘イレーヌも1956年58歳で白血病で亡くなっている)
1934年65歳で亡くなる。ピエールと同じ墓に葬られる。お葬式ではポーランドの土が棺の上にまかれた。

放射能の量は、「キュリー」という単位であらわされている。


キュリー夫人 ラジウムを発見した科学者 (学習漫画 世界の伝記)

キュリー夫人 ラジウムを発見した科学者 (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: 森 有子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1989/09/20
  • メディア: 単行本



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