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江戸時代のサバイバル (歴史漫画サバイバルシリーズ) [歴史]

世界一受けたい授業などでおなじみの河合敦先生監修の日本史漫画シリーズ。
全14巻で、特徴は小学生がタイムスリップしてハラハラドキドキの冒険をするという内容。

ストーリーは、チーム・ガリレオがつくり、漫マンガは早川大介さん。

この巻では江戸時代をとりあげ、副題は生き残り作成となっている。
とりあげているのは「関ヶ原の戦い」から江戸幕府が成立したころまで。

双子の兄弟ケンとハナ。二人は剣道をやっていて、ハナが大会で優勝。
骨董店を営む二人の祖父が、優勝のご褒美にととりだしたのは、徳川家の家紋がはいった箱。祖父の説明では「これは徳川家康公が用いた刀で我が家の家宝」とのこと。

刀は2本あり、「イチモンジ」と「ムラマサ」
ハナはまったく興味を示さなかったがケンはかっこいい!と手にとると、刀の精霊が登場。子どもが触らないとでてこれないのだという。

「イチモンジ」は常識的?だが「ムラマサ」は野心的な刀でケンにとりついて関ヶ原にタイムスリップ。大将の首をとって出世するといって「関ヶ原の戦い」に乱入。
ハナは「イチモンジ」とともに追いかける。

刀の精たちは、大人がくると引っ込んでしまうので、戦場の中二人は取り残される。それを助けてくれたのが徳川四天王の本多忠勝。子どもがいては危ないからと本陣につれかえり家康に会わせてくれる。家康は西軍(豊臣家の家来石田三成の軍)の小早川秀秋が裏切るのをいまかいまかと待っている。最初はびくびくしていたが、裏切りをきいて大喜び。
ケンとハナがもっていた刀(イチモンジ。ムラマサは戦場からもちだせなかった)をみて、これは昔父親からもらった刀だと声をかける。家康も昔刀の精に会っていて、「平和な時代をつくる」と約束していたのだが、大人になって会えなくなっていたのだ。

ふたりは家康のところで湯漬けをごちそうになるが、ご飯にお湯をかけただけのもので、米はかたく、おしんこがついているがすごくしょっぱいといっている。
ふたりきりでご飯を食べているとイチモンジがでてきて、家康との思い出を語る。
そのころムラマサはようやく動けるようになり、ハナの方が剣道の腕がたつからと、今度はハナにとりつこうとする、イチモンジはムラマサを止めようと刀同士の争いになるがムラマサが勝って、ハナはタイムスリップしてしまう。イチモンジとケンも後を追う。

二人がやってきたのは1615年大坂夏の陣。ちょうど真田幸村が敵に取り囲まれたところ、ハナとムラマサが争っているのに敵が気をとられている間に幸村はハナをつれて馬で脱出。ムラマサは再び戦場にとりのこされる。
ケンとイチモンジは家康のところへいって、ハナを探してくれるように頼む。
ムラマサはハナがいうことをきかないので、最大パワーでハナの体をのっとる。

ケンはハナが真田幸村と一緒だと知り、とりあえず家康のところへ戻る。家康は真田を邪魔者扱いしつつ、ものすごく恐れていて、幸村がくるときいて木に登ってセミのふりをするギャグシーンあり。
幸村が家康の陣に攻め込むと、あらわれたのはハナをのっとったムラマサ。ムラマサは真田幸村に襲い掛かる。それをみたイチモンジも最大パワーでケンにのりうつり、対決。しかし馬のフンを踏んで転んであえなく気を失う。その間に家康軍は幸村を追い返し勝利。家康は「これからはイチモンジに約束した平和な世の中をつくる」と二人に約束。

二人はイチモンジと現代に帰ろうとするが、最大パワーを出したためエネルギー不足でうまくいかない。とんだところはまだ江戸時代で、犬においかけられている若様を助けたら、今度は米泥棒と間違えられる二人。
しかし、刀をもっていたことから武士だと思われ、今度はおもちをごちそうになる。このとき農村で新しい農具で脱穀をしているところを見る。また農村では米はすべて年貢になってしまうのでもちなどはめったにたべれないことを知る。

刀をみると刃こぼれがすごいことから、刀の精のパワーを取り戻すために二人は江戸へいって刀を研いでもらうことを決意。大名行列に江戸につれていってもらおうと飛び出すが、無礼ものと切られそうに。そこに犬から助けてあげた若様がでてきて、とりなしてくれる。二人は若様と一緒に江戸へいく。

ムラマサは若様をみて「竹千代~」とかけよるが、若様は覚えがない。あとでわかるがムラマサは徳川家光が子どものころ(幼名が竹千代)友達で、竹千代が「日本一の侍になる」といったことから、大将首をたくさんとれる刀になろうとしていたのだった。

ハナとケンは若様から江戸時代の服をもらい刀の研ぎ師を探す。お金がない二人だったが、戦もなくなり刀がめずらしかったのと名刀だったので特別に無料でやってもらえることに。しかし念をおしておいたのに、楽しくなった研ぎ師がイチモンジだけでなくムラマサも研いでしまい、パワー全開になったムラマサはケンをのっとって将軍のところへ。そして「戦を起こせ」と脅す。

この将軍が徳川家光で刀をみてムラマサを思い出す。ケンにとりついた状態だったので二人は会話でき、家光が「日本一の侍になりたいといっただけ、大将首をとらなくても、おれ将軍の息子だし」というと勘違いに気が付いたムラマサは刀に戻ってしまう。

家光は「ムラマサの気持ちはうれしかった。これからは戦のためではなく人を守る刀になれ」と念じてムラマサを返してくれる。
ハナとイチモンジも合流し、一緒に祖父の骨董店に戻った二人をみて、祖父はいつの間に着替えたのか不思議がる。
ふたりは刀をもらうね!といって外へ遊びにいこうとして祖父にとめられる。登録証なしで持ち歩くと銃刀法違反なんだよね。


ここからはコラムの内容

家康は元は三河の国の小さな戦国大名で小さい頃は今川義元のところで人質になり、その後は織田信長に協力して、遠江や駿河を勢力範囲にしていた。その後豊臣秀吉により関東地方に領地をうつされ、そこを開発して江戸の町をつくった。

秀吉が亡くなると関ヶ原の戦いで豊臣氏をやぶり天下人となり、征夷大将軍になって江戸幕府を開いた、2年で息子の秀忠に位をゆずり、徳川氏が代々天下をおさめることを世の中にしめした。
ちなみに関ヶ原の戦いで西軍を率いたのは秀吉にとりたてられた官僚の石田三成。戦いのあとには処刑された。西軍を裏切った小早川秀秋は秀吉の正室おねのおいで、備後国の有力大名の養子になっていた。関ヶ原の戦いのあと21歳で病死した。

江戸時代には、幕府が直接支配する領地(天領)と、大名が支配する藩があった。大名には種類があって

親藩・・・御三家をはじめとする徳川一門の大名
譜代・・・本多忠勝など、昔から徳川氏に従っていたけらいの大名
外様・・・九州の細川や島津など関ヶ原の戦いの後に正式に徳川氏に従った大名

とわけていて、外様は遠くの領地を与えた。
幕府は藩をとりつぶしたり、領地を変えたりできた。大名を統制する法律「武家諸法度」があった。

江戸幕府を開いた家康は豊臣氏を滅ぼすため方広寺の鐘の文字に難癖をつけて戦いを始める。大阪冬の陣では真田幸村が「真田丸」を作って活躍し、攻めあぐねた家康は和平をもちかけ大阪城の堀をうめてしまい、次の夏の陣で豊臣氏を掘滅ぼしました。
真田幸村の名前が日の本一の兵として有名になるのは大阪冬の陣以降だそうです。

1613年に国内のキリスト教徒が外国と結ぶことをおそれた幕府はキリスト教禁止(禁教令)また、キリスト教が広まらないようにヨーロッパとの交流を制限。オランダはキリスト教を広めないと約束し、出島に限って貿易をみとめられ、キリスト教国でない中国や琉球とも貿易が行われた。貿易は幕府に独占され利益も独占された。
1937年、島原と天草で農民が反乱をおこした。多くがキリシタンで、キリスト教徒への弾圧や厳しい年貢、飢饉などへの不満から3万人が一揆に参加。しかし幕府は10万を超える兵力で鎮圧する。そのご絵踏みなどがおこなわれ、さらにキリシタンの取り締まりは厳しくなった。

平和な江戸時代には農具の改良もすすみ、この時代の農作業のやりかたは昭和のはじめごろまで全国でみられた。新田開発もさかんにおこなわれた。
江戸時代は10%の武士が他の身分を支配した。80%が農村に住む農民(林業・漁業含む)で、幕府は年貢をきちんととるために百姓の家を5戸一組にまとめた五人組制度をつくった。

参勤交代は家光が始めた制度で、大名は地元と江戸を1年交代で往復することが義務付けられ、妻と子は江戸に強制的に住まわされた。往復の費用や江戸城の改修などで大名の出費がかさみ、反攻できなくなっていった。

江戸は将軍様のおひざ元として大名屋敷や武士の住む政治の街で、武士の生活をささえるたくさんの職業の人がすんでいました。18世紀の初めには人口100万人の世界でもトップクラスの都市でした。
大阪は「天下の台所」とよばれ各地からさまざまなものが集まる商人の町として発展。
京都は歴史ある神社や寺院があり、西陣織などの素晴らしい工芸品が商人を通して幕府や大名の手に渡りました。
他に仙台藩の仙台。加賀藩の金沢、長州藩の萩、薩摩藩の鹿児島まども栄えました。
物流には主に舟がつかわれ、大阪と江戸を結んでいたのは菱垣廻船と呼ばれる舟でした。

江戸時代には、漁業や林業、織物などの手工業、酒造り、焼き物、紙などが発達し、農産物とともに特産物を運ぶために道路や水路が整備された。
金山や銀山が開発され幕府のおおきな財源になった。
商業も発展し、最初は特産物を江戸にもってくるだけだったのが、大量の商品を安くうって儲ける「薄利多売」な商売もおこなわれるようになりました。
金銀のおかげで初期の幕府の財政はよかったが、5代将軍綱吉のころからは産出量が減って財政赤字に悩むようになった。

平和な時代が続き経済が発展すると武士や裕福な商人の他に一般人も文化を楽しむ余裕がでてきた。17世紀末から18世紀はじめに盛んだった上方中心の文化を元禄文化という。松尾芭蕉(俳諧)や近松門左衛門(歌舞伎)、菱川師宣(浮世絵)らが有名。


江戸時代のサバイバル (歴史漫画サバイバルシリーズ)

江戸時代のサバイバル (歴史漫画サバイバルシリーズ)

  • 作者: チーム・ガリレオ
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: 単行本




歴史漫画サバイバルシリーズ【全14巻】特典つき+別巻1冊セット

歴史漫画サバイバルシリーズ【全14巻】特典つき+別巻1冊セット

  • 作者: 河合敦
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2017/03/07
  • メディア: 単行本



タグ:河合敦
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学習まんがシリーズ 名探偵コナン推理ファイル 日本史の謎 5 (小学館学習まんがシリーズ) [歴史]

コナンのマンガで楽しく日本史を学ぶシリーズ第5巻。今回は大正時代、昭和時代・戦前、昭和時代・戦後と平成時代にわけて、3つのマンガとその後の解説ページの構成。

マンガは世界の高校生探偵が集められて主催者のだす謎に答えをだし、もっとも正解と思われる人が優勝という形式。このブログはネタバレ考慮していないので、推理したい人はここで離脱してください。

Part1 シベリア超特急
設定は、まだ小さくなる前のコナンくん(工藤新一)が参加。出題者はアメリカの旅行推理作家ディクソン氏の孫娘。1927年の初冬シベリア超特急の特別列車に乗って行方不明になった。ソ連に住むイギリス人の記者がジェラーニエ駅まで同行、次のナディェージダ駅駅で待ち合わせたアメリカ大使は彼に会えなかった。途中駅はなく、列車をくまなく探し、線路のそばはソ連軍と警察犬で探したがみつからなかった。
列車は6両編成で乗客は100人ほど、最後にディクソン氏が食堂車であったのは4人。パリで乗車した中国人とベルリンで乗車した日本へいく若いドイツ人夫婦、モスクワで乗車したポーランド男性。中国人はずっと辺りの様子をメモしていた。沿線では狩人が列車の中で閃光と煙を目撃。ディクソン氏は銃の名手で常に銃を携帯してたが、今回みつけて走らせている列車には銃撃戦の痕跡はない。
推理はパリからウラジオストクに向かうシベリア超特急の中で当時の車両を走らせながら行う。ディクソン氏が行方不明になったナディェージダ駅までに解答を出す。

参加しているのはイギリス人のローレンス(母はフランス人)。ドイツ人のルードヴィッヒ(母はオーストリア人)、ロシア人のイワノフ。そして判定役の毛利小五郎と娘の蘭ちゃん。

まずディクソン氏がシベリア超特急にのろうと思ったのは与謝野晶子の影響ということになっている。
ルードヴィッヒの曾おじいさんは第一次世界大戦で日本の俘虜になり四国で亡くなった。彼は日本を恨んでいる。

ディクソン氏が「最近どこの国でも得体のしれないものが、自分を飲み込もうとする悪夢をみる」といっていたことから当時の世界情勢の話になる。
バルカン半島にある10ほどの国をロシア・トルコなどの列強で取り合いになり、そのなかで1914年サラエボで18歳のセルビア人の若者がオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子を暗殺、もともとは植民地として併合された恨みだったと思われる。他の国が進出してきて独立をする例として韓国もあげられたが、初代統監である伊藤博文は暗殺されている。

それをきっかけにオーストリア・ハンガリーがセルビアに宣戦布告。クリミア戦争でセルビアの独立を支援したロシアがセルビアにつき、オーストリア・ハンガリーと同盟していたドイツがオーストリア側につく。ロシアと三国協商を結んでいたイギリス・フランスはドイツとオーストリア・ハンガリー帝国に宣戦布告した。

戦車・飛行機・潜水艦が使われ、大都市が巨大飛行船で爆撃され子どもたちは田舎に疎開。戦争は4年にわたり、双方の使者は2000万人。

ルードヴィッヒはヨーロッパが戦争している間に日本は工業生産を伸ばして一人勝ちをしたと主張。イワノフは曾おじいさんは日本の38式歩兵銃で戦ったと解説。日本には成金が誕生。いけいけで中国に二十一か条の要求をつきつけでドイツのもっていた山東省をよこすように主張。これで中国や同盟国から嫌われた面もあるが、日露戦争で勝った日本を近代化のお手本にしようと多くのアジア留学生が日本にやってきた。孫文もその一人。しかし中国や韓国を植民地化。中国で五・四運動、韓国で三・一独立運動がおこり日本軍が弾圧。留学生たちも次々と帰国。第一次世界大戦後の1918年シベリアにとりのこされたチェコ・スロバキア軍団の救出を名目に日本・米・英・仏が派兵。実態はロシアの社会主義革命を拡散させないのが目的。他の国は1920年には撤退したが、日本は1922年まで派兵。ロシア側に8万人が死傷、日本人も5000人の死傷者がでて何も得られなかった。しかも領土の野心を他の列強に疑われ孤立。1933年の国際連盟脱退につながっていく。

と、その後謎解き。新一は列車のなかでドイツ人夫婦がディクソン氏と撮影した写真をみて、スーツの仕立てが雑でサイズもあっていなかったことから、本来は高額なシベリア超特急にのれるひとたちでなかったと推理。またイワノフから最近まで工場や油田・炭鉱まで撮影禁止だったことをきき、ディクソン氏の小説はまるでその場にいるように情景がかかれることからソ連はアメリカのスパイと疑って、列車内で殺害。その後車両ごとそっくりいれかえた。また乗っていた人物たちは全員双子の兄弟をもつ暗殺者で、銃撃戦で死亡した人だけをいれかえたと推理。実際ちかくの炭鉱の奥から車両がみつかって解決。メモをとっていた中国人は、途中まで同行していたアメリカ人記者にいれかわった双子が質問されたときボロをださないように見張っていたのだ。

最後にルードヴィッヒが曽祖父のなくなった徳島県の収容所に主催者につれていかれる。そこではドイツ人俘虜の異例が建ち、現地の人が花をたむけていた。現地の収容所の所長は国のために戦った名誉ある人たちだと俘虜を尊敬し、彼らは外出したり遠足や海水浴もできた。地元の人たちにパンやソーセージの作り方を教え、釈放されても現地に残って技術が学問を教えた人もいる。日本で初めてオーケストラをつくって第九を演奏したもの俘虜たちである。今でも交流は続いている。これをみてルードヴィッヒのわだかまりはとける。

解説キーワード
・明治天皇崩御
・大正天皇即位
・関税自主権の確立
・大正デモクラシー
・民本主義(吉野作造)
・婦人運動(平塚らいてう)
・人類史上初の世界大戦、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)、三国同盟(ドイツ・オーストリアハンガリー・イタリア)日本は日英同盟で参戦。
・パナマ運河開通
・日露戦争ごの物価上昇。急激な工業化。農村を中心に不満が高まり反乱でロマノフ王朝が崩壊。資本家を中心とした臨時政府でも民衆の不満はおさまらずロシア革命でレーニンが指導者になる。世界への共産主義の伝播をおそれた各国がシベリア出兵。
・第一次世界大戦後のベルサイユ体制・ワシントン軍縮会議、国際連盟発足、中国で孫文がなくなり袁世凱が列強の支援をうけて軍事力を背景に権力を握る。日本が中国を植民地扱いする二十一か条条約をつきつけ、反発する五・四運動がおきる。韓国の独立運動三・一運動、弾圧される。
・関東大震災とデマによる朝鮮人と無政府主義者へのダ案斡、東京復興計画、普通選挙法の成立(男子のみ)と治安維持法の成立、日本人の海外移住。
・大正時代の文化、白樺派と耽美派、芥川龍之介や大衆小説プロレタリア文学。子どもの文学「赤い鳥」と童謡。美術は二科展ができる。学問は日本書紀の科学的研究(津田左右吉)、民俗学(柳田国男)、哲学(西田幾多郎)、経済学(河上肇)、日本初のオーケストラ山田耕作。活動写真
・ラジオ放送がはじまる

Part2 戦火に消えた北京原人化石
安田財閥会長安田和也が第二回の世界高校生探偵対決を主催。コナン君は子どもになっていたので参加は平次くんでついていく設定。参加者はCIA長官の息子アメリカ人のスペイド、前回のルードヴィッヒ、イワノフ、中国の黄史学。イタリアの探偵さんが欠席したので急きょコナン君が工藤新一が一目おく小学生として参加。

出題は、1941年発掘された北京原人の化石が紛失した謎を解くこと。兵庫の孫文記念館で会った一同は例によって歴史の話。
孫文は1913年から3年間日本に亡命し国民党の前身の組織をつくり宋慶齢と結婚。蒋介石も日本の軍隊で学び、孫文の妻の妹宋美齢と結婚している。

一行は中国・瀋陽(旧・満州)にいく。中国の大元帥・張作霖が日本軍に爆殺されたところ。日本が租借していた満州南部には軍民あわせて100万人、日本が運営する南満州鉄道に競合する鉄道を張作霖が欧米の援助で敷設。1928年の爆殺はその報復だった。公には紹介石器のせいにしていたが中国にいた関東軍が独断で行った。しかし彼らは日本政府から罰せられず満州国設立に突き進む。

マルコ・ポーロも美しいといった盧溝橋で1937年日本軍と中国軍が銃撃戦。日本は中国から撃ってきたと主張。これも軍が勝手におこなった。ワシントン条約のあと軍船が沈められ、陸軍が10万人削減されたことを怒った軍が政治家に反発していたことが背景。日本では1930年浜口首相が右翼青年に撃たれて死亡。1923年5・15事件で犬養首相が暗殺。軍縮・中国撤退を主張する首相が殺され、2・26事件でも大臣が殺され、軍部の力が強くなり表立って軍を批判する政治家はいなくなる。軍は政治の要職をしめて1938年議会の承認なしで物資や労働力を動員できる国家総動員法が成立。東京オリンピック中止・国民服をきて華美な服装は禁止となる。

ドイツではナチが台頭、政策に反対するドイツ人が捕らえられユダヤ人と同様に強制収容所で虐殺された。イタリアもムッソリーニが独裁政治を断行。ソ連では平等社会をめざしたはずが共産党が言論を封じ込め国家にはむかうと秘密警察にとらえられシベリアの強制収容所に送られた。
世界中が全体主義や軍国主義に傾いた時代。

北京・旧協和い学院はかつて北京原人の化石を研究していたアメリカ人研究者ワイデンライヒ博士は1941年日本軍の力が強まると部下にレプリカを作って自分に送るように頼んで帰国。その後本物の化石もアメリカに運ばれることになり3キロほど離れた旧アメリカ大使館に運ばれた。化石はアメリカ海兵隊のフォーリー軍医が受け取り秦皇島に送った。12月8日ハリソン号に積み込みアメリカに向かう予定だったが、その日真珠湾攻撃があって戦火の混乱で化石は行方不明になった。12月8日に日本軍はアメリカ軍の施設を接収。協和医学院にもはいったがレプリカしかなかった。消えた北京原人の化石は頭蓋骨のほぼ完全なものが5つあった。

舞台設定のときアメリカのリーマンショックの設定になっており、そこから日本が戦争に突入した原因に不況があげられる。第一次世界大戦のあと工業生産が回復しものがあふれ、ついに世界恐慌に、アメリカの失業率は25%に達した。日本は関東大震災と東北地方の凶作がかさなり、親の借金のかわりに都会で働く子どもが多くなる。国民は政治家の無策に絶望し植民地を広げる軍を支持。軍へ莫大な寄付が集まる。だが国際連盟はリットン調査団の報告をもとに満州国を認めず、日本は連盟を脱退。

イギリスは投資の資金を各国がひきあげだすと金本位制をやめて他の国は大損。かわてアメリカのドルが台頭。ドイツへのイギリスへの投資がなくなり、ドイツは窮地にたつ。一方でアメリカはカナダやメキシコと。イギリス・フランスは植民地とブロック経済をはじめ、植民地を持たないドイツ・日本・イギリスは領土拡大に動く。日本では財閥が弱い企業や銀行を安い値段で買って儲けていたが政治家は財閥からの資金提供をうけるために黙っていた。そのため民衆の支持は軍に集まった。

沖縄でみなが推理を披露して一通り否定意見がでたあと、コナンと平次の推理。荷物を受け取った軍医のフォーリーは、一時日本軍によって天津に監禁され荷物もそこに送られた。幸い一時保釈になった彼はそれを共和医学院に勤めていたことがある宋という女性にあずけた。実はその女性と日本人男性の子どもが今回の主催者安田氏。彼は母親とともに大切なものをいれたトランクで日本に渡ろうとするが舟がアメリカの潜水艦の攻撃にあい母親が死亡。残った二人の子供がトランクをもって長崎にわたる疎開船にのるがその船も攻撃されて沈んだ。安田さんは弟も失い、自分が助かるためにトランクも捨てており、それをずっと後悔していたのだ。

しかし、コナン君の調査で宋さんのところへ運び込まれた木箱はおおきなものが2つもあり、とても受け取れないので他にも天津にあったスイスの倉庫とパスツール研究所に預けたという。だから、沈んだトランクに最も大切な北京原人の化石の頭蓋骨が入っていた可能性は低い。

ラストシーンは平和の礎。謎は完全にとけなかったけど安田さんの心は救うことができた。安田さんは毎年100人の中国人留学生を招いて交流を始めるそうだ。

解説ページ
・世界恐慌→昭和恐慌→金解禁だったため大量の金が流失して日本が財政難に→軍縮会議
・ニューディール政策
・軍縮会議の取り決めは天皇の統帥権をおかしていると軍が政府を批判
・恐慌を背景にファシズムが台頭
・蒋介石による中国統一、日本の山東省進出、満州事変、満州国建国(傀儡皇帝に外出の自由もなかった)、国際連盟脱退
・軍の保護下での中国大陸進出、5・15事件、2・26事件、日中戦争、盧溝橋事件、近衛内閣による軍の抑制失敗
・高橋是清によるモラトリアムなどで混乱収拾、公共事業で景気回復、軍需産業の発展、新興財閥の成長、国家総動員法、国民腸用例の施行
・第二次世界大戦。ドイツポーランド侵攻、ノルウェー・デンマーク、ベルギー・オランダ・ルクセンブルグへ侵攻。パリも陥落。日本の資源獲得をめざした南進政策。三国同盟。日ソ中立条約。大政翼賛会(総力戦体制をめざした新党)成立
・太平洋戦争、ABCD包囲網、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島撤退。
・東京大空襲、特攻隊、沖縄戦、イタリア・ドイツの降伏、ソ連の対日参戦(ヤルタ会談)
・広島長崎原爆投下、ポツダム宣言受託、玉音放送、シベリア抑留、外地引き上げ、国際連合誕生

part3 幻の琉球切手
園子の父親の会社のCMソングを歌うことになった新垣エミリア。父親がアメリカ人で沖縄で一緒に育った兄はアメリカ国籍を選びアメリカ軍に入ったがアフガニスタンで戦死。エミリアに切手アルバムが戦場から届く。

エミリアの祖父ランバートは元海兵隊の顧問で切手収集家。その友人の元中国共産党の幹部闘李はランバートの切手コレクション展をみるために沖縄へやってきた。
エミリアの父は湾岸戦争で戦死している。アメリアの兄は普天間基地で訓練をうけた、沖縄は日本を防衛する以外にアメリカ軍がアジアへ派兵するための基地という面があるのだ。

日本に開国を要求したペリーは5回沖縄にきていて碑が残っている。日本政府が開国を拒んだ場合沖縄を占領して海兵隊や捕鯨船の補給基地にするつもりだった。沖縄は75%の基地施設をもつが昔から地理的に狙われていたのだ。

沖縄の住人は普天間基地ができるまで収容所にいれられていた。でてきたときには基地ができておりお墓などは今でも基地の中にあり住民としては離れがたいものがある。
日米安保条約の地位協定で、米兵が公務中の事件事故は日本に警察権や裁判権がないとされており、軍隊はいつも公務中ともいえるため事件を起こした米兵が基地内へ逃走して本国に帰って罪を逃れるという事例が多かったが、近年は改善されている。

エミリアの祖母は郵便関係の仕事をしており、切手収集が趣味の祖父とはそこでしりあった。1945年から1972年の復帰まで米軍統治下の沖縄では琉球切手という独自の切手が発行されていた。エミリアの兄は切手アルバムに幻の切手のありかを隠していると自慢していた。コナンたちは手がかりを求めてランバートの切手コレクションを見に行く。そのなかに沖縄のない日本の切手が。日本は1951年にサンフランシスコ平和条約に調印。朝鮮の独立を認め、台湾・樺太・千島列島を放棄。琉球諸島をアメリカの信託統治下に置くというものだった、そしてGHQの支配下にあった日本は独立。

GHQは極東裁判で東条英機を筆頭に戦争責任で7人を絞首刑、財閥を解体、言論出版集会を自由にして女性に参政権を与えた。
一方でアメリカはハワイを併合、フィリピンを植民地にした、そして沖縄を手に入れ、朝鮮戦争・ベトナム戦争に沖縄から爆撃機をだした。アフガニスタン・イラクへも派兵している。これらの指摘は闘李がおこなった。
ランバートは闘李の切手コレクションはかつて中国属国だった国が中国の影響をうけているのを証明するものばかりだと反論。
闘李は自分は不発行になった幻の琉球切手を探しにきただけだという。

そこへエミリアの兄の亡くなったときの報告書が届く、死体のこめかみには至近距離から撃たれたあとがあったが報告書ではスナイパーに撃たれたとなっており、コナンは切手が目的で殺害されたことを疑う

エミリアが受け取った兄の切手アルバム、その中に竜切手があり、リコンストラクション(元のシートに戻すこと)をするらしいものがあった。しかし北・南の文字とE・Aの文字。E・Aは兄がエミリアに送ったペンダントにも。コナンは形から首里城に目をつけ、さらに切手の模様が竜が向かい合っていることから王の玉座に切手があると推理。かけつけるとアフガニスタンで兄と同じ部隊だった男が切手をもちだそうとしていた。蘭がとりおさえようとするが日米地位協定があるの捕まえられない。油断した男は、エミリアの兄が軍曹になってから危険地帯に志願させられるのが不満で、足を撃たれた彼に切手の場所を言わせたあとで殺害したと告白。そして立ち去ろうとするが、ランバートが一部始終をきいており捕まってしまう。

でてきた切手は日の丸が米国国旗より上に印刷されたため不発行になったものだった。エミリアの祖母は祖父に渡すと処分されてしまうかもとかくして置いたものだった。

・アメリカによる占領(マッカーサー)、財閥解体(三井・三菱・住友・安田)独占禁止法制定、婦人参政権獲得、東京裁判と戦犯、天皇の人間宣言、日本国憲法公布、農地改革
・サンフランシスコ講和条約(吉田茂)、経済安定9原則、日米安保条約条約(米軍の日本駐留)、教育制度、片山内閣(社会党)、中華人民共和国成立(毛沢東)
・朝鮮戦争、自衛隊創設(朝鮮半島に出兵したアメリカ軍が手薄になったため)、東西対立(冷戦)、日米安全保障条約改定(岸信介)と反対運動
・高度経済成長、国民所得倍増計画(池田隼人)、高速道路開通、農村から都市へ就職、電化製品浮遊、東京オリンピック、皇太子殿下ご成婚(テレビ普及)
・石油ショック、日本列島改造計画で各地で土地の値段があがる(田中角栄)、ロッキード事件、ベトナム戦争、文化大革命
・万国博覧会、ベトナム反戦運動、大学紛争激化、月面着陸、日中国交回復、日韓基本条約調印、沖縄返還
・経済成長と環境汚染、四大公害、ダイオキシンなどの有害化学物質、薬害エイズ、日米貿易摩擦、戦後政治の総決算、日本人とノーベル賞
・冷戦の終結、ソ連崩壊、天安門事件、昭和天皇崩御、バブル経済崩壊、竹下内閣と消費税、リクルート事件
・冷戦後の民族紛争、湾岸戦争と同時多発テロ、地球の一体化(グローバル)、地球環境とエコロジー、北朝鮮の拉致問題

史跡ガイド・資料館ガイド


学習まんがシリーズ 名探偵コナン推理ファイル 日本史の謎 5 (小学館学習まんがシリーズ)

学習まんがシリーズ 名探偵コナン推理ファイル 日本史の謎 5 (小学館学習まんがシリーズ)

  • 作者: 青山 剛昌
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2011/02/10
  • メディア: 単行本



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平家語物 (上)(中)(下)―マンガ日本の古典 (10) (11) (12) [歴史]

絵は横山大輝。これもぴったりですねえ。

冒頭は有名な「祇園精舎の・・・塵に同じ」と見開きの京の絵からはじまります。多分京だと思う。
そして平清盛の六波羅の家へズームイン。
物語は清盛が50歳で太政大臣一位になったところからはじまる。
ここで、武士の歴史のおさらい。
400年続いた藤原貴族政治のなかで武士は地下人とよばれ、わずかの領地をもらって貴族の番犬のような存在だった。
武士のなかでも東の源氏、西の平家は名門だったが、どちらかというと源氏のほうが摂関家にきにいられていて勢力は強かった。しかし保元、平治の乱で敗れたほうに味方したため勢力がよわまった。
保元の乱のあと、関白の義兄・藤原信頼が大将の位をもとめてきたのを信西が断り、それを恨んだ信頼が源義朝をつかって信西を討ち取り、帝と上皇を閉じ込めた。しかし清盛が二人をうちとり、これから清盛の出世が始まる。このとき源義朝の子どもたちも殺されるところだったが、清盛の母のとりなしで頼朝は伊豆へ、そのほかの子どもたちは出家させることにしてそれぞれ違う寺に預けた。鞍馬寺に預けられたのが義経である。
清盛の妻時子の妹慈子が後白河上皇の妻になり皇子を生んでいたことも影響していたらしい。清盛の出世は藤原氏っぽいんだね。

清盛が太政大臣になって4か月、病に倒れた。そのころ二条天皇は崩御、二歳の六条天皇が即位していた。清盛に万が一のことがあってはと考えた後白河上皇は、慈子の産んだ皇子を即位させ高倉天皇とした。この皇子は第7子であったが慈子を寵愛していた後白河上皇の意向である。しかし、清盛は回復し、長寿を願って仏門に入り清盛入道相国と呼ばれることになる。後白河上皇も仏門にはいり法皇となった。

平重盛の長男が摂政の車が通るとき馬からおりなかったので、乱暴をうけ、清盛が激怒したが、重盛は「非はこちらにある」と諭した。しかし清盛は反撃をしてしまう。すると重盛は実行者を解雇して、息子を謹慎させた。みな重盛の公平な裁きに感心したという。しかし、平家の横暴を嫌う貴族たちも大勢いた。
高倉天皇は清盛の娘徳子と結婚。徳子は皇后になる。

平家に反発する貴族たちが鹿谷(ししのたに)で法皇をまじえて平家を討つ密議をしていたが、計画の途中で比叡山とのトラブルが発生。強訴(天皇の祖霊をまつる神輿をかついだ僧兵が朝廷や摂関家へおしかけること)に発展するが、これを平家の武士たちが撃退。それをみた密議に参加していた多田蔵人行綱が清盛に陰謀を密告。西光らが捕まり処刑された。陰謀に加担していた重盛の舅は一度は重盛に救われるが流刑先で亡くなる。
清盛は法皇も軟禁しようとするが重盛に止められる。そして兵を自分のところへ集めたので清盛は「これでは院をせめるなどできない。よくできた息子だ」と、法皇の軟禁を諦め、福原の街づくりに力をいれることにする。清盛は宋との貿易に力をいれていたのである。

清盛の娘徳子は皇子を生む。このことで清盛と院との勢力争いは激しくなる。
さらに重盛が43歳の若さで亡くなり、院と清盛の関係は悪化。ついに清盛はクーデターをおこし関白や太政大臣らは幽閉され、法皇も鳥羽の離宮に幽閉された。
高倉上皇は20歳で譲位。三歳の安徳天皇が即位する。高倉上皇はまず平家の守り神厳島神社に社参し、清盛の機嫌をとり、父である後白河法皇の幽閉をといてもらった。

後白河上皇の第二皇子以仁(もちひと)親王は、高倉上皇の母慈子にうとまれ、30歳をむかえてもひっそり暮らしていた。かれに平家討伐をもちかけたのは源三位入道頼政。かれは源氏でありながら平治の乱のときに朝廷に弓はひけないと平家方にくわわった源氏である。そのまま平家の世の中で出世していたが、70歳をすぎてついに反旗をひるがえしたのだ。理由は息子が清盛の三男宗盛に侮辱されたためである。親王は頼政に説得され平家討伐の令旨をだす。各地の源氏はよろこんで立ち上がったが、令旨がばれて親王は女装して園城寺逃げ出す。園城寺は比叡山や興福寺に助けをもとめる。興福寺は賛同してくれたが比叡山は断ってきた。源入道頼政と息子たちも親王を守ろうとするが、源氏の武士たちが集まる前に平家の討伐軍によって反乱軍は討ち取られてしまう。親王を逃がして覚悟して自害した。親王も興福寺まで逃げきれず殺される。

この乱のあと清盛は園城寺を攻め焼いてしまう。そして福原に遷都を命じる。比叡山と興福寺の動向を気にしてのことだった。貴族たちは驚いたが仕方なく従い、京は廃墟と化してしまう。福原では法皇は三方壁の部屋にいれられていたという。
福原の清盛のところへ源氏の棟梁頼朝が決起したとの情報がはいる。清盛は3万の軍勢をさしむけるが、坂東武者の武勇を恐れていた平家は水鳥の羽音を源氏の奇襲だと思って逃げかえってしまう。頼朝は平家は撤退したが兵はうしなっていないこと、また朝敵になることをおそれて追撃しなかった。
清盛にとってははじめての負け戦だった。

比叡山のすすめで清盛は京へ遷都することにする。比叡山が興福寺との間をとりもつと約束したからである。しかし興福寺は話し合いに応じなかったので清盛は兵をおくり東大寺など南都一帯が炎上。
心労のためか高倉上皇が崩御。父後白河法皇と、息子安徳天皇の板挟みになっていた人だった。

木曽義仲は、頼朝のいとこにあたる源氏ではあるが、内輪もめから頼朝との仲は悪かった。信濃で兵をあげた。これに続いて九州、四国でも源氏に味方する兵がでていると報告がはいる。宗盛が追討軍を動かそうとしているとき清盛が危篤になり中止、その後清盛は64歳で世を去る。

越後の城四郎助茂(じょうのしろうすけもち)は平家の要請で木曽義仲を追討する4万の兵をおこすが、3000の義仲軍は平家の赤旗で近づいて一気に相手を蹴散らし追い返した。
これをきいて周囲の兵があつまり義仲の軍は5万にふくれあがった。
平家は10万の追討軍をおくった。義仲は5万で迎え討ち、山の地形を利用して、矢合戦で平家の注意をひいているうちに兵の一部に背後にまわし、夜に鬨の声をあげさせて慌てた平家軍を倶利伽羅谷へ追い込んだ。あわてた平家軍は次々と谷におちて敗れた。

木曾義仲が京へくるときいて平家は福原へ向かう。しかし後白河法皇は鞍馬寺へ逃げ込み、平家は連れ出すことができなかった。安徳天皇と徳子、三種の神器などをもって平家は逃げ出した。武者のなかには妻子を京に残したものも多かった。
3年間放置されていた福原はあれはてていた。そこで船をしたてて太宰府にいくことにした。このとき7000騎ほどになっていたという。

木曾義仲が京にはいり法皇は御所にもどった。義仲は従五位佐馬頭になり、他の源氏の諸将も平家から没収した領地や位をもらった。しかし京にはいった兵たちは略奪をおこなったので人々は苦しんだ。法皇や貴族たちは義仲を平家討伐にむかわせようとしたが、三種の神器が平家方にあるため困っていた。法皇は孫の四宮を後鳥羽天皇として即位させる。これで安徳天皇と二人の天皇がたつことになった。

平家は太宰府に逃れたが法皇の命令をもった使者がきたため、昔平家の家来だったものたちも平家討伐にまわるようになり、平家は戦おうとしたが九州の各地から相手方の兵があつまってきたためやむおえず箱崎の津に撤退した。ずぶぬれになり女官は裸足で歩くようなありさまだった。

その後海上に逃れたが、上陸しようにも敵が来るとの知らせばかりでうまくいかない。重盛の三男は悲観して笛を吹いてから入水自殺してしまう。
長門の国(山口県)は新中納言知盛は清盛の四男の領地である。ここの目代が平家の窮状をしって大船や衣服・弓矢などを用意してくれて、平家は讃岐(香川県)の屋島に向かう。そして各地の平家に反攻の使者を送った。平家はたちあがり山陽道8か国、南海道6か国を討ち取った。
義仲は7000騎の平家討伐軍を屋島に送ったが舟の合戦に不慣れな源氏は大敗する。
義仲は1万の兵をひきいて自分で平家討伐へ向かった。それにさきだって征夷大将軍にしてほしいと法皇に頼んでいた。それをきいた法皇は僧兵2万をおくって義仲を追討しようとする。怒った義仲は京へ引き返し僧兵をけちらして法皇、天皇・公卿たちを幽閉する。そして平家と手をくんで頼朝に対抗しようと福原の平家に使者をおくるが、平家に「自分たちは官軍だから、そっちが降伏してこい」といわれて怒る。

木曾義仲に襲われた法皇は頼朝に義仲討伐の使者をだしていた。
頼朝は異母弟の範頼・義経二人に6万の兵を与えて義仲討伐にむかわせる。二人には武士が貴族の飼い犬にならぬよう朝廷から位をもらわないようにと言い含めた。
義仲は宇治川で迎え撃ったが敗れ、法皇を連れ出そうとするも義経にさきまわりされ万策尽きて討ち取られた。このとき巴御前も活躍していた。

法皇は範頼と義経に平家討伐を命じるが、二人は頼朝の命令で院宣をもらうようにいわれていると伝え、手にいれる。平家には天皇と三種の神器があるので、朝敵にされないためである。
義経は夜をおして強行軍をおこない平家の陣を襲った。合戦は明日と油断していた平家は驚いて敗走。義経はさらに一の谷の背後、鵯越をおりて平家をけちらした。このことで範頼率いる本隊は、平家をはさみうちできる状態になり、驚いた平家は海に逃れようと敗走。清盛の五男重衡が捕らえられる。熊谷次郎直実が息子と同じ年頃の若武者を手にかけようとして躊躇するのもこの場面。この若武者は清盛の異母弟・経盛の息子敦盛だった。
法皇は重衡を返す代わりに三種の神器を返すようにいうが、平家は断り、重衡は鎌倉に送られた。それを聞いた四国の維盛(重盛の子どもで27歳)は先を悲観して出家したのち那智の沖で入水。家来二人が殉死した。

頼朝の命令で範頼は山陽道から義経は四国の屋島を攻めるようにいわれた。
義経は摂津に船を用意したが悪天候でかなり破損。それでも義経は夜中に船頭を脅して出発。勝浦まで3日かかる航路を5時間で着いた。たった70騎だったが、屋島の1000騎の平家を夜襲して海に追い出した。朝になって相手の数を知った平家がもどってくるが、命知らずの70騎が戦っているうちに四国の各所から兵があつまりだしたので、援軍を恐れた平家は逃げ出した。那須与一が船の扇を射抜く話はこのときである。
結局平家は長門をめざして逃げて行った。
義経が船を出す前に、味方の武将と口論になり、それから頼朝に告げ口をされるようになった。頼朝は義経の無謀ぶりを法皇にとりいるためではないかと疑うようになる。

義経は船での戦のために熊野水軍の力を借りることにする。弁慶が昔熊野水軍にいたのである。水軍とは当時の海賊である。熊野水軍の協力を得て義経は200艘の軍船で平家を追い、周防で範頼と合流した。しかし勝手に熊野水軍と交渉したことも頼朝の怒りを買うことになった。
源氏の旗色がよいと判断した兵力が集合し、源氏の船は3000艘まで増えていた。
元暦二年(1185)3月24日、源氏は長門壇之浦での決戦に向かう。平家は1000艘の船で迎え撃った。矢をあわせ、その後相手の軍船へ切り込むのである。最後を悟った安徳天皇と徳子、そして祖母の時子は次々と入水。三種の神器も海に沈められそうになった。徳子と神器の一部は源氏によって救い出された。宝剣だけはみつからなかったので、伊勢のものを宝剣とした。
能登の守教経は平家の武者としてすばらしい働きをしていたが、知盛があまり罪をつくらぬようにというので、源氏の武者と組合をして二人を道連れに入水した。すべてを見届けた知盛も入水。
総大将の宗盛は逡巡しているところを部下につきおとされたが、おもりをつけていなかったので浮いてしまい、捕らえられた。そして捕らえられた男たち38名は京を引き回され鎌倉に送られて打ち首になった。

徳子は尼になり平家の菩提を弔った。
平家滅亡の4か月後には頼朝は義経追討令を出す。



平家物語(上)―マンガ日本の古典 (10)

平家物語(上)―マンガ日本の古典 (10)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1995/01
  • メディア: 単行本



平家物語(中)―マンガ日本の古典 (11)

平家物語(中)―マンガ日本の古典 (11)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1995/09
  • メディア: 単行本



平家物語(下)―マンガ日本の古典 (12)

平家物語(下)―マンガ日本の古典 (12)

  • 作者: 横山 光輝
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1996/03
  • メディア: 単行本



タグ:横山 光輝
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今昔物語(下)―マンガ日本の古典 (9) [歴史]

読み聞かせ時間・・・中学生男子はこのシリーズ読まないって決めたようなので一人で読んでます。30分くらい
ウケ度・・・全然興味なかったようだ。
印象度・・・絵は、水木しげる。これもお話にあっていていいなあ。

〇ねずみ大夫
藤原の清廉は、大蔵の大夫とよばれていたが、世間の人たちは「ねずみ大夫」と呼んでいた。それは異常なくらい猫を怖がるから。
清廉は山城、大和、伊賀の三国にたくさんの田をもっていた。
藤原の輔公が大和の守のとき、租税をまったく納めなかったので、大和の守は呼び出して部屋に閉じ込め猫をけしかけて約束状をかかせた。

〇安倍晴明
京都に住む陰陽師安倍晴明は、師をしのぐ技量をもち、狐の子などといわれるほどだった。
子どものころ師の伴をしていて鬼の行列をみて、車をとめたので、師が隠形の術をつかい大事にいたらなかった。
安倍晴明は式神を使うことで右にでるものはないといわれていた。式神とは呪詛に使う一種の鬼神である。
ある日、一人の老僧が二人の童子をつれて清明を訪ね、陰陽道を習いたいという。僧がかなりの使い手で童子が式神であることをみぬいた清明は、童子を隠してしまう。あわてた老僧は清明にあやまり弟子にしてほしいというのだ。
ある日、宮中に参内する若い少将の烏帽子にカラスがフンをするのをみて、カラスは式神とみぬき、家で護身術をしていると、はたして呪詛がおくられてきたので、清明はそれを送り返しさらに自分の式神も送ったので相手の陰陽師は亡くなってしまった。犯人は若い男の相婿だったが、それがわかると家からおいだされてしまった。
また、あるときは試みに池のカエルを殺してみてくれといわれ、葉っぱに呪文をしてカエルになげて殺す。
清明は12の式神を使っていたが、醜悪なので妻が嫌がり、京の一畳のもどり橋の下において、用があるとき呼び出していたという。

〇稲荷詣で
京都伏見二月初午の稲荷大社は参詣のひとたちでにぎわっていた。
近衛府の舎人たち6人が参詣するなかに色好みといわれる男がいた。さっそく美人を探して声をかけるが、なんと相手は自分の女房だった。
さんざん女房の悪口をいったあとだったので、男はなぐられののしられた
妻は「いままで人のいうことは信用しないで信じていたが、話が本当だとよくわかった。もう帰ってこなくていい」といいすてていってしまった。
男はそれでも妻のところへいって謝ったが、妻は「私も着飾って外にでればまだまだ声をかけてもらえるってわかったわ」という。
世間の笑いものになり、妻に愛想をつかされた男は数年後にぽっくり死んでしまったが、女ざかりの妻は再婚したという。

〇幻術
陽成天皇の時代。滝口の侍である道範が陸奥の金を運送上納するため信濃の国の郡司の家にとまった。眠れないので家のなかを歩いていると、郡司の妻らしい女性が寝ている。来客があると接待は妻にまかせ、男は外に宿泊するという習俗があるので、だれもいなかったので、道範は情を通じてしまうが、途中で股間のモノがなくなっている。
道範は、自分の家来たちもけしかけて同じことをさせると、みなモノがなくなってしまう。
怖くなった道範一行は早々に出立するが、男がおいかけてきて郡司から届け物があると手渡したのはモノがはいった包み。そしてモノがもどってきた。使いに男によるとこれは郡司の幻術であるという。
おもしろくなった道範は帰り道に郡司に幻術を教えてほしいと頼み込む。郡司は金を京都に届けたら習いにくるといいという。
いよいよ修行にはいるが、幻術は仏道に反するので誓願をたてろという。そして川上から流れてくるものに抱き着くようにいわれるが、最初に流れてきたのが大蛇でだきつくことができない。次のイノシシがきたがなんとかつままえた。
しかし最初のに抱き着けなかったので、モノをかくす術はおしえてもらえず、他の簡単な術を教えてもらった。道範としてはモノをかくす術を教えてもらえず残念だった。京にかえって術を披露していると天皇の耳にはいり、教えたが、履物を動かして喜んでいる天皇をみて「めでたいな」とためいきをつくのだった。仏道に反する幻術にはまる天皇の評判がおきて、そのためか天皇は狂気になってしまう。
道範は幻術は他人だけでなく己も惑わすなあと思うのだった。

〇妻への土産物
ある男が難波の海岸でハマグリに海松(みる)がくっついたものを拾う。
珍しいので女への土産物にしようと童子にもたせるが、「あの女」といったため、童子はてっきり妻のことだと思ってハマグリを渡してしまう。しかし男は長い間妻のところへは帰らず他の女のところへいりびたっており、そちらに送ったつもりでいた。
妻は突然の土産物に、驚き、多分童子がまちがえたのだろうとは思ったが、眺めて楽しむことにした。
男が京に戻ると土産物が妻のところへいっているとわかる。男が土産物を説明すると女はハマグリを食べて梅松は酢のものにするという。男は夢のない女だと思ったが、童子をしかって妻のところから土産物をもってこさせる。妻は残念がったが、包み紙に歌を書いて包むと童子にもたせる。
その歌をよんで、自分をうらまず土産物を眺めて楽しんでいた妻を好ましく思った男は妻のところへ帰るのだった。

〇水の精
陽成院の崩御したあと、その敷地は人が住むようになったが、南の池のある方の家で縁側で男が寝ていると、杖をもった小さな老人がやってきて起こす。男はいろいろきくが、老人はなにもいわないで池にかえってしまう。友達も不審がってひとつ捕まえてみようということになり、うまく捕まえると老人は「たらいに水をもってきてくれ」という。そして「私は水の精だ」というとたらいの水のなかに消えてしまった。しかたないので男と友達は水を池にもどしてやった。水の精はそれから二度とでてこなかった。

〇墓穴
近江の国篠原を美濃の国をめざして男があるいているとひどい雨風になった。
墓穴をみつけて避難していると、他の旅人が雨をさけてやってきた。そして主がいたらと供え物をした。先に入った男はその供え物を食べてしまう。
供え物をした男はびっくりして、こんなところにいるのは神ではなく鬼だといって荷物を置いて逃げ出してしまった。荷物は反物で男は幸運なんてどこに落ちているかわからないといって、反物をもって旅をつづけた。

〇引出物
色事師平中と藤原時平が女の話をしているとき(両方ともかなりのプレイボーイ)籐大納言の北の方が美人だと平中がいいだす。籐大納言は時平の伯父だが80過ぎの老人である。自分の方が美人にふさわしいと思った時平は、正月の年賀に伯父の家に行き、酔いをさましてから帰ると、他の人が帰っても残っていた。そして伯父が引出物に馬を二頭と琴を用意したというと、「伯父上ならではご自慢ののものをいただきたい」といいだす。酔っていた籐大納言は「自慢の妻」を引出物にしてしまい。時平はまんまと女を手にいれる。
女も時平の男ぶりにのぼせていたので、めでたしめでたし。気の毒なのは籐大納言である。

〇外術使い
村人たちが瓜を背負って売りに行く途中、みずぼらしいおじいさんに会う。男たちが自分たち用の瓜をたべていたので、おじいさんも欲しいというが、男たちはあげない。
おじいさんは男たちの捨てたタネを拾ってうえるとみるみる芽がでて瓜がなった。おじいさんは瓜を食べ始め、男たちにも食べろという。男たちは大喜びで腹いっぱいたべたが、きがつくとおじいさんはいなくなっていて、自分たちがかついできた瓜もなくなっていた。

〇寸白男
寸白とはサナダ虫のことである。
ある女が腹のなかに寸白をもっていて、その息子がおおきくなって出世して信濃の守になった。信濃の国ではクルミが名産で酒でも料理でもクルミがはいっている。信濃の守はそれを飲むと苦しみだす。土地の人が不審に思いさらにクルミ入りの酒をのませると、信濃の守は「おれは寸白男なのだ」といって一匹の巨大なサナダムシになって逃げだしたが、途中で水になって消えてしまった。信濃の守の妻も子供も家来もびっくりしたが、しかたなく引き返していったという。

〇生霊
美濃尾張に行く途中の男が夜に道で女に出会う。女は「民部の大夫何某のところへいきたい」という。男は遠いからと断るが頼み込まれて案内する。すると女は「近江の国なになにの娘です」と名乗ってから消えてしまった。男がびっくりしていると案内した家のなかでだれかがなくなったらしい。夜が明けてから案内した家の近所に住む知り合いに聞いたところ、案内した家の主人が近江の奥方の生霊にとりつかれていたが、明け方近くになくなったという。
男は頭がいたくなり家にかえってニ三日ねていたがやっとでかけることにした。
近江の国を通ったので女が言い残した家にいくと、確かに本人がいて男のことを覚えているといってお礼の品をくれた。
下女の話では女は民部の大夫にすてられたそうだ。男は女はおそろしいと思いながら旅を続けるのだった。

〇蛇淫
ある夏の朝、若い女が近衛大路をあるいていて、急に用をたしたくなった。
がまんできなくて、道の端で用をたしていると動かなくなってしまう。供をしていた女童が泣き出してしまう。すると通りかかった男がみると、女の前の壁に穴がありヘビが顔をだしている。
これはヘビが女の用をたしているのをみて欲情し、女の正気を失わせているのだなと判断。
家来たちに石のようになった女を持ち上げさせるとヘビが壁からでてきたので刀で殺した。すると女は正気をとりもどしたので家来たちが家まで送っていった。
ヘビの淫欲をいたずらに刺激してはいけないという話である。


今昔物語(下)―マンガ日本の古典 (9)

今昔物語(下)―マンガ日本の古典 (9)

  • 作者: 水木 しげる
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1996/01
  • メディア: 単行本



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今昔物語(上)―マンガ日本の古典 (8) [歴史]

読み聞かせ時間・・・中学生男子はこのシリーズ読まないって決めたようなので一人で読んでます。30分くらい
ウケ度・・・全然興味なかったようだ。
印象度・・・絵は、水木しげる。これもお話にあっていていいなあ。

話は、下ネタとか、気持ち悪いのとか多いので、あんまり好きじゃない人がいそう。
古典の問題にでるのは無難そうなのの方が多いから、あんまり取り上げられないんじゃないかな?

今昔物語の成立は12世紀前半と推測される。
31巻、1040話あるが、漫画では本朝部の仏法・世俗偏の説話を中心に23話が漫画になっていた。

〇入れ代わった魂
讃岐の国で病気の娘のために家の前に供え物をしている両親がいた。娘の魂を取りに来た死神は、供え物を食べてしまった恩を感じて、娘と同姓同名の娘の魂をもっていくことにする。娘の両親は一度死んだ娘が生き返ってびっくり。
しかし、エンマさまに入れ替えがばれて、やはり娘は死んでしまう。身代わりにつれてこられた娘が帰ろうとすると体はもう火葬されていてない。
しかたないので、最初の娘の体に返した。(一度は生き返ったので、娘の両親は火葬するのをためらっていたのだ)
こうして生き返った娘は、両方の家の両親に事情を説明し、両方の両親から大事にされた。

〇産女
産女というのはお産で死んだ女の妖怪のこと。
美濃の国の国府で武士たちが宿直の最中に産女の噂話をしている。
その中の一人、頼光四天王の一人平の季武(すえたけ)が産女など怖くないと言い出す。
そこで、産女のでるという渡にいくことになった。仲間たちはこっそりつけていった。
すると季武は見事に川をわたって、目印の矢を土手に刺し、戻ろうとする。
そこへ産女があらわれたが、季武はおちついて産女の赤子を奪って逃げかえる。
戻ると赤子は葉っぱになっていた。
仲間たちは季武の武勇に感動し、賭けていた武具などをさしだすが、季武は「戯言だ」と仲間たちに武具を返す。
あっぱれ。

〇妻の恨み
長年つれそった妻が離縁され、あばら家で男を恨んで死んでいった。
死体はいつまでもそのままである。
夫の方は、妻が自分を取り殺しにくると心配になり、高名な陰陽師に相談する。
すると陰陽師は死体のところへいき、背中にまたがっていろという。
夫は恐る恐るいうことをきくと、陰陽師は自分が戻るまでそのままでいろといって帰ってしまう。
やがて死体が動き出し、夫を探し回るがみつからない、やがて背中が重いとあばら家に戻って動かなくなった。
夫は自分の仕打ちを後悔し、戻ってきた陰陽師といっしょに妻の死体を弔った。

〇色事師平中
宮仕えの女なら知らぬものはいないというプレイボーイ。兵衛の佐平の定史通称平中は、意中の女がなびかないので、やけになってもう手紙を書くまいと決心するが、三月もたつとやはり心残りで、雨の夜に忍んでいくことにする。
うまく女の寝所までたどりついたが、女は襖の錠をかけてなかったウソをついて平中を油断させると、反対側から錠をかけていってしまった。平中は寝所でまちぼうけである。
ここまでされたら、相手を嫌いになろうと、女の排泄物(当時はハコを便器にしていた)を盗み出してみてやろとしたが、女が愛しいあまり排泄物までいとしくなって食べてしまう。その後、恋の病にふせってとうとう死んでしまった。世間の人は非難したが、色事師としては本望かも。

〇霊鬼
文徳天皇の妻、染殿の后にもののけがつき、天皇と父の藤原良房は加持祈祷をするがなかなかよくならない。
大和の葛城山で修業した聖人がよばれ祈祷すると、后にとりついていた老狐がでてきて、聖人は見事にこれをとりおさえた。
しかし后の姿を一目見た聖人は恋におちてしまい。襲い掛かったところを侍医の当麻の鴨継にみつかり捉えられる。
牢獄のなかでも「鬼になって后と情を通じてやる」といっているのを聞いた天皇と良房は恐ろしくなり聖人を修行していた山に返す。
しかし聖人は山で断食して見事に鬼に生まれ変わって后のところへやってくる。神通力で后は鬼のおもうままである。天皇と良房は以前に聖人をとりおさえた鴨継を呼びにいかせるが、すでに「鬼の祟り」と言い残して死んでいた。しかたなく大勢の高僧がよばれて祈祷をするが、三月ほどたったころ鬼はふたたびあらわれて后を思いのままにするのだった。
修行した聖人だから鬼になって人の心を惑わすことができたのだろう。

〇大江山の悪夢
大江山を馬にのった若い妻と、弓矢をもったその夫が越えようとしていた。
妻は盗賊の心配をしているが、夫はおれの武芸があるので大丈夫という。
途中で一人の男といっしょになる。その男は立派な太刀をもっていて、夫の弓と交換してやろうという。夫は大喜びするが、妻は不審がる。そのご、弓だけでは格好がわるいと、矢も二本もたせてくれというので、夫はそうする。
やがて昼時なので弁当をつかおうという話になるが、道端では格好が悪いからと奥の方に二人を誘い込み、馬から妻をおろそうとした夫に弓をつきつけてしばりあげてしまう。
その後妻を犯し、馬を盗って逃げて行った。
妻は「力もないのにいいきになるから」といいながら夫を助け「悪夢だと思って忘れましょう」というのだった。

〇老医師の恋
陰部に腫物ができた身分ありげな美しい女が老医師(くすし)典薬頭(てんやくのかみ)のところへやってくる。老医師は勝手に女に妄想しながら女の病気を治療する。
よくなってきて、そろそろ手をだろうかなというところで、女は「帰りはあなたの車でおくってね。そこで家も名前も教えるわ」とかいっておいてドロン。

〇かぶら男
ある男が京から東国に下る途中で女もいないところでしたくてたまらなくなり、畑のかぶらに穴をあけてことをしていった。
そのかぶらを畑の持ち主の娘が見て、急に食べたくなり食べてしまった。すると男の子が生まれた。娘は男のそばへも寄ったことがなく、両親は不審に思ったがそのまますぎた。
やがて、例の男が東国からの帰り道に畑のそばを通りかかり、家来にそのときを話をした、それを聞いた娘と母親は男をつかまえて事情を話した。みれば男の子は男に瓜二つ。
京へもどっても身寄りもいない男は、かわいい娘と子どもにひかれてこの地で暮らすことになった。

〇赤鼻の僧
京都は宇治の池尾に禅智内供という僧がいた。
学識は非凡で寺院の経営もうまかったが、鼻がものすごく大きくて赤かった。食べるときは大きなへらで鼻をもちあげるのだった。
内供は、やはり鼻がおおきすぎると考え、お湯で鼻をふやかして小僧たちに踏ませるとた中からたくさんの虫がでてきたので、小僧たちに毛抜きで虫をとらせた。すると鼻は小さくなった。
しかし、ニ三日すると鼻はもどってしまう。何度も繰り返しても同じで小僧たちも疲れてきた。
ある日、食事中に鼻をもちあげる小僧が寝込んでしまい、他のものが代わりをやっていると、ハエがやってきて、小僧はおおきなくしゃみをして、粥を内供の顔にぶちまけてしまう。内供は起こり、小僧たちは逃げだす。
そして「あれほど教養があるのに、鼻のこと1点にこだわりすぎて正しく分別できない、欠点を愛せばそれは欠点ではなくなるのに」と話すのだった。

〇酒泉郷
修験僧が大峰山で道に迷って人里にたどりつく。
そこは、花の咲くのどかな里で泉からは酒が湧き出していた。
村人たちは修験僧を長者らしき人の家につれていき食事をだす。食事もうまい。帰ったらこの理想郷をみなに教えてやろうと思っていると、「里の他のところを案内する」と連れ出される。
しかし、修験僧をつれだした男は里の秘密をまもるために修験僧を殺そうとする。
修験僧は自分を殺すと罪になると男を説得、秘密を守ると約束して生き延びる。
しかし、戻ると里のことをいいふらした。
多くの若者が隠れ里を探そうとしたが、戻ってこなかった。古老は、そのような理想郷はこの世ではないと語った。

〇堂の主
ある男女が「仲立の婆」の家で逢瀬をしていた。仲立の婆とは逢引の世話をする女のことである。
男は少し女にあきてきて、逢瀬の間があいた。しかし思い立ってでかけていくと、仲立の婆の家は来客で泊まれないという。
しかたなくすすめられた寂しいお堂で女と逢瀬をするが、夜中にお堂の主という物の怪があらわれでていけと言われる。
男女は急いで逃げ出すが、女の方はその後亡くなってしまった。それを聞いた男はふるえあがるのだった。
古いお堂で逢引などするものではない。


今昔物語(上)―マンガ日本の古典 (8)

今昔物語(上)―マンガ日本の古典 (8)

  • 作者: 水木 しげる
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1995/04
  • メディア: 単行本



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