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レオナルド・ダ・ヴィンチ (小学館版学習まんが人物館) [人]

レオナルド・ダヴィンチの代表的な絵画の写真とその特徴
モナ・リザ(ラ・ジョコンダ) スフマート技法
師匠のヴェロッキオの「キリストの洗礼」に描いた二人の天使 師匠はもう絵はかかないといったという逸話がある。
受胎告知 天使の羽根がそれまでと違って鳥の羽根のようにリアル、植物もリアル
最後の晩餐 遠近法
筋肉のスケッチ、城壁を打ち破るための巨大な石弓の設計、ヘリコプターのスケッチ

1452年、レオナルドはイタリア中部トスカーナ地方のヴィンチ村に生まれた。
父親は村で公証人をしていたセル・ピエロ。祖父母とおじさんと、継母と暮らしていた。
母親は身分が低く、父親とは結婚していなかったので、レオナルドは長男ではあるが、父親の後継者になる資格がないとみなされていて、13歳ごろにフィレンツェのヴェロッキオの工房にいれられる。
父親は野心的な人物で、身分のある女性と結婚して出世がしたかったらしい、結局4回結婚して10男2女をのこしたが、レオナルドとの交流はなかった。
本当の母親は同じ村にいたが、話すことは禁じられ、のちに他に嫁いだが夫をなくし貧しい生活をしていたのを、レオナルドは自分のところに呼び寄せている。ただ身分が違うというので家政婦という名目にして二年間一緒にくらした。

ヴェロッキオのところでは、雑用からはじめて、27歳で独立するまでを過ごした。
このころの芸術家は、教会や権力者、お金持ちの依頼で絵をかいたり彫刻をしたり、家具や工芸品をつくるなど、なんでもやっていた。
作品は、過去の書き方にのっとって依頼者の好みにあわせてつくることが大切だった。
天使の羽根は金色でかいて、頭にわっかをのせるなどおこなわれていた。
しかし、レオナルドは現実の花や鳥の羽根を詳細に観察スケッチして、それを絵の世界に持ち込んだ。

フィレンツェで独立して「東方三博士の礼拝」を書き始めるが、未完のままルドヴィコ・スファルツァに使えるため1482年、30歳のときミラノにいってしまう。
漫画ではローマのシスティーナ礼拝堂の仕事に選出されなかったので、がっかりしてフィレンツェを去ったみたいにかかれていたし、後ろの解説ではロレンツォ・デ・メディチがフィレンツェの芸術家をイタリア各地に送り出すのに熱心だったからともいわれている。
とにかく、レオナルドの方から自分をスファルツァに売り込んだのは確かで、その際軍事も詳しくて兵器も作れると書いたので、そこから猛勉強して、兵器の設計図とかも書いたようだ。ミラノではペストの流行をみて、上下水道を分ける都市計画を提案したりしている。どれもお金がかかりすぎると実現はしていない。
また騎馬像をつくろうとしたが戦争がおきて青銅が兵器につかわれてしまったのでミニチュアしか完成しなかった。
スファルツァの息子がナポリ王の娘と結婚したときの披露宴では「天国の祝祭」という出し物を披露、回転する舞台などを使ったおおがかりなもので、これは大評判になったらしい。
ミラノでは「最後の晩餐」を完成させている。
1499年、47歳のとき、フランス軍がミラノを占領したため、ミラノを去った。ミラノを占領したルイ12世は「最後の晩餐」を見て、感動し、のちにレオナルドを呼び寄せている。

一度フィレンツェに戻るが、メディチ家が追放されて混乱しており、1502年、50歳のときローマ教皇アレクサンデル6世の息子、チェーザレ・ボルジアに軍事顧問として雇われ、戦のための地図をつくったり、チェーザレの居城イーモラ城の改良工事を行ったりした。しかし1年ほどでチェーザレのところを離れている。理由はよくわかない。

1503年、51歳のとき、フィレンツェに戻り、市の依頼で「アンギリアーリの戦い」を描き始める。反対側の壁にはミケランジェロが「カッシーナの戦い」を描いており、夢の競演となるはずだったが、レオナルドは新しい方法を試して失敗し、絵は完成しなかったし、ミケランジェロは「ダビデ像」に忙しく、その後教皇の墓をつくりにいってしまい、両方とも絵は完成しなかった。
このころラフェエロが聖母子の描き方を教えてくれと工房にくるようになった。モナ・リザの絵をみて感動し、いきいきとした人物画を教わるならレオナルドだと絶賛する。

1506年、54歳のとき、ミラノからフランス総督シャルル・ダンボワーズの誘いがきて、最初は自分がつくった騎馬像を作ったフランス人といっていたが、いってみるとすごい歓迎で、ここで人体の解剖許可などももらっている。パドヴァ大学の20代の解剖学者に弟子入りしたいと説得したが、共同で著書をだす約束を果たさないうちに相手がしんでしまった。
アルプスを旅行して風景画を残しているが、お金にならない風景画をかく芸術家はいなかったので、レオナルドがはじめてだ。アルプスで貝のはいった地層をみつけ、ノアの洪水一度きりだったら、そうなならないなど推理していたが、それをいうと教会ににらまれるので弟子にしかいわなかったようだ。

1511年ダンボワーズ総督が死去して、スイスが攻めてきたのでフランスは撤退。レオナルドはッミラノを離れ、かつてフィレンツェを支配したメディチ家のジュリアーノ・ド・メディチから招かれてヴァチカンにいく。
ラファエロとも再会。かれのアテネの学堂のプラトンはレオナルドがモデルだという。システィーナ礼拝堂にはミケランジェロの天井画もあった。
レオナルドは賑やかなローマの暮らしはあまり好きではなかったようだ。

1516年再びミラノを占領したフランスの国王フランソワ1世の誘いで、フランス中西部のアンボワーズにいく・
国王はレオナルドにはほとんどなにも注文せず、ただ話し相手としていてくれと依頼、漫画では二人がコロンブスが新大陸を発見した話や、早くすすめる船の話、月や太陽がまりのような形をしていることなどを話している様子がかかれていた。「洗礼者ヨハネ」はここでかきあげられた。

1519年、弟子のメルツィにノートやスケッチをすべてたくし、鳥かごのとりを放してやってから息をひきとった。
メルツィの死後はそれらは行方不明となり墓も荒らされて遺骨のゆくえもわからないという。

レオナルドの偉大さは、名画や発明でなく、世の中の不思議なことを、ときあかして真理を知ろうとした最初の人だからとしめくくっていた。
また、教育をうけなかったので、ラテン語などを独学で学んでいた努力の人でもあった。
ミケランジェロやラファエロなど同時代の芸術家に対してもライバルというより尊敬をもって対応したような印象をうけたけど、漫画の解釈かも。


レオナルド・ダ・ヴィンチ (小学館版学習まんが人物館)

レオナルド・ダ・ヴィンチ (小学館版学習まんが人物館)

  • 作者: 小林たつよし
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/09/29
  • メディア: 単行本



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