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アガサ・クリスティー―名探偵ポアロを生んだ「ミステリーの女王」 [人]

読み着せ時間 小6男子自分で読んで20分
ウケ度 コナン君の影響でシャーロックホームズは好きなので同じミステリーということで興味はあったようだ
印象度 思ったより波乱万丈な人生でした

1890年イギリスの何先負トーキイでアメリカ人実業家の娘として生まれました。上には兄と姉がいて、10歳くらい年上でした。アガサは年の離れた末っ子として両親のもとで愛されて育ちました。

6歳のとき、父の病気のためフランスですごし、姉を訪ねてパリにも行きました。フランス語も習い外国への憧れを強くしました。冬には一家はイギリスに戻りました。

1898年アガサは8歳になり、シャーロック・ホームズを読んだり、ピアノを弾いたりする毎日を送っていました。
このころ兄のモンティは義勇兵になり、父親は病気でなくなります。

姉は小説をかいており、アガサにも進めてくれていました。
1905年15歳になったアガサはトーキイの学校にかよっていましたが、母親の勧めで一人前のレディーになるためパリの上流社会の娘が社交界デビューするための学校に入学しました。声楽家になろうかと考えていたアガサでしたが、才能がなさそうとあきらめかけていたころ、母親からエジプトのカイロで過ごすよう手紙をもらい、学校をやめて出かけます。
16歳になったアガサはカイロで社交界デビューしますが、華やかな世界より小説を書く方が好きでした。しかしこの時の体験も小説の参考にするため書き留めていました。

母親とイギリスに戻り小説や詩をかいて出版社に送りますが不採用。
母親のすすめで近所に住む作家イーデン・フィルボッツの指導をうけます。

1809年アガサが18歳のとき、姉が訪ねてきます。このときアガサがガストン・ルルーの「黄色い部屋の秘密」を読んでミステリーを書きたいというと、姉がミステリーは難しいから無理とけなし、このときアガサはミステリー作家になるときめたといいます。

家では小説をかき、近所の社交界にも参加していたアガサでしたが、1912年陸軍航空隊のアーチー・クリスティーに出会い、二人は惹かれあい結婚しようとしますが、母親は他の縁談がまとまりかけていたこともあり、時期が悪いと二人を止めます。
やがて第一次世界大戦が勃発。戦争は長引き、アガサもボランティアで看護をするようになります。
1914年クリスマス休暇で帰国したアーチーとアガサは二人きりで結婚式を挙げます。しかしアーチーはすぐに戦場にもどります。

アガサはトーキイの病院の薬局で調剤の仕事を手伝うことになり、このとき薬剤師の資格をとることを決意します。ミステリーで毒薬を使うこともがんがえていたようです。
またベルギーから逃げてきた人たちをみて、エルキュール・ポアロを考え付きます。
そして「スタイルズ荘の怪事件」とうミステリーを書きあげますが、どの出版社にも送り返されます。

1918年、アーチーは無事に帰国し、町の会社に勤めるようになり、二人はロンドンで暮らすようになり翌年には長女ロザリンドが生まれます。
このころ、「スタイルズ荘の怪事件」が以前に送った出版社からでることになり、ポアロが評判になります。

1924年アガサたち一家はサニングデールの広い家に引越し、アーチーはそこを「スタイルズ荘」となずけます。しかし、このころ二人の間はいきちがいが多くなり、加えて「アクロイド殺し」でトリックの批判をうけ、さらに母親がなくなるという不幸が続きます。
このころドライブに出かけたアガサが行方不明になり、その後ハロゲートのホテルで発見されるという事件がおきます。
結局このあとアーチーと別居し、その後離婚します。

創作に打ち込んだアガサは「火曜クラブ」でおばあさん探偵ミス・マープルを誕生させます。
好奇心と行動力にも富んでいて、友人の一言からオリエント急行にのりイスタンブールを訪れます。
この体験もその後「オリエント急行殺人事件」へと発展します。
イスタンブールから、古代バビロニアの遺跡ウルにいったアガサは、有名な考古学者レナード・ウーリーに出会い、発掘シーズンに来るようにすすめられます。

1930年再びウル遺跡を訪問したアガサは専属ガイドとしてウーリーの助手マックス・ローワンを紹介されます。
アガサの方が14歳年上でしたが二人は惹かれあい結婚します。
アガサはその後マックスの発掘の手伝いをすることになります。一方でミステリーのアイデアを次々と作品にして発表「オリエント急行殺人事件」「ABC殺人事件」「そしてだれもいなくなった」などはこのころの作品です。

1939年、第二次世界大戦が勃発。マックスは国防市民軍、アガサはロンドンで薬剤師として働きました。娘のロザリンドは結婚してウェールズに移り住むことになりました。
このころロンドンも空襲にあい、命の危険を感じたアガサは遺作となる作品を書き残しておくことにします。

1943年「そしてだれもいなくなった」がお芝居として上演され、アガサは脚本を担当大評判となり、12本の脚本を書きました。

1945年戦争終結、マックスがもどり一緒に暮らすようになります。
その後メアリー皇太后の希望でラジオドラマ「3匹の目の見えないネズミ」をかきます。
またこのころから年1作の割合で作品を出すようになります。アガサは60を超えていました。
1963年まではマックスの発掘の手伝いもしていました。

1971年81歳でデイム(ナイトにあたる女性の爵位)に叙せられます。
このころでも作品は発表していましたが、娘のロザリンドが口述筆記するようになっていました。

1976年、夫と娘と孫にみとられて85歳で生涯を閉じました。
作品は長編66冊と短編20冊におよびました。



アガサ・クリスティー―名探偵ポアロを生んだ「ミステリーの女王」   学習漫画 世界の伝記

アガサ・クリスティー―名探偵ポアロを生んだ「ミステリーの女王」 学習漫画 世界の伝記

  • 作者: 森 有子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1995/11/17
  • メディア: 単行本



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