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ジャンヌ・ダルク フランスを救ったオルレアンの乙女 [人]

読み聞かせ時間 小6男子自分で読んで20分
ウケ度 まあまあ
印象度 ジャンヌの活躍した期間は本当に短かったなあ

1412年1月6日、フランス東部ドンレミ村の農家にジャンヌは生まれました。上には3人の兄がいました。
当時のフランスは100年戦争の最中で、フランスはフランス王家に味方するアルマニャック派と、イギリスに味方するブルゴーニュ派に別れ戦いが続いていました。フランス王家の王太子シャルルは即位することもできず、シノンに閉じ込められた格になっていました。

1425年、ジャンヌは初めて「声」を聴きました。声は信仰を促すもので、ジャンヌは声に従って良く働き協会に通いました。
ある日声は「王太子シャルルにあって、フランスを救え」と告げます。ただの農村の娘で読み書きもできないジャンヌにとって思いもよらないことで、最初はとても信じられませんでした。
しかし、これをおじの「デュラン・ラクサール」に話すと、おじは「フランスは一人の人妻によってほろびかけ、ひとりの乙女によって救われるだろう」という予言の乙女がジャンヌであると信じてくれる。

声を聴いてから3年後、ジャンヌはおじさんにつれられてポークルール守備隊長ボードリクールを訪れ増す。お告げでは彼が王太子に会わせてくれるといっていたからです。しかし、最初は頭がおかしいと追い払われてしまいます。

1428年オレルアンがブルゴーニュ派に包囲されました。お告げの声はジャンヌに急ぐように告げ、ジャンヌはもう一度ポークルール守備隊長のところにいき、あってくれるまで何度も城門に通いました。ジャンヌの行動は評判を呼び、守備隊長はとうとう王太子のところへジャンヌをつれていってくれることになりました。

ポークルールから王太子のいるシアンまでは敵がたくさんいましたが、神のお告げによりジャンヌは敵にあわずにシアンまで進むことができました。
シアンでは皇太子の側近たちがジャンヌを試すため、出迎えのなかに粗末な身なりの王太子を紛れ込ませていました。ジャンヌが本物ならわかるはずだというのです。
ジャンヌは見事に王太子の前にすすみでて、神のお告げにより来たと話王太子を喜ばせたのでした。

その後ポアチエにある大学で審問をうけ、本物であると認定されたジャンヌは軍隊を率いてオレルアンに向かいます。司令官に任命されたジャンヌは百合を模した軍規と優秀な副官をつけられます。
途中川をわたるのに風向きがかわるなどの現象が起き、副官たちも次第にジャンヌが神の遣わした娘であることを信じていきます。

オレルアンの守備隊長も最初はジャンヌを疑っていましたが、ジャンヌの言葉に従って勝利を重ねるうちに次第にジャンヌが神の使いであると信じていきます。
他には自分が負傷する日をいいあてたり、安息日を守って戦わないでいる間にイギリス軍が撤退したりしたことがあったようです。

ジャンヌの活躍によって190日間にわたる包囲からオレルアンは解放され、ジャンヌは王太子を説得してランスに向かいます。そこで王太子を即位させよというお告げがあったからです。途中の町を奪回しながら進みましたが、乙女ジャンヌの旗印のもと敗北はありませんでした。
1429年7月17日ランスにてシャルル7世即位。ジャンヌは村に帰ることも考えますが、副官たちの引き留めで軍にとどまります。

シャルル7世は、ジャンヌのおかげで即位したものの、あまり感謝はしていなかったようで、さらには戦争はあまりすきではないとブルゴーニュ公と和平を結ぼうとします。
狡猾なブルゴーニュ公は和平に応じるふりをして、援軍を呼びます。あわててジャンヌに攻撃させるシャルルですが、一方では和平交渉をすすめ、ジャンヌたちに突然の解散命令を下します。

ジャンヌは軍にのこり国王軍として戦っていましたが、1430年コンピエーニュの町を解放にいったとき、守備隊長に城門をしめられ敵軍につかまります。しかし、シャルル7世は和平を優先させジャンヌを見捨てたのでした。オレルアンの人々はジャンヌの解放を訴えますが、ジャンヌはイギリスに売り渡され北フランスのルーアンに送られてしまいます。

イギリス軍はジャンヌを魔女にしたてあげ、自分たちの敗戦をとりつくろい、シャルル7世の名誉を傷つけようと一方的な裁判を行います。
そしてジャンヌに異端だと認めなければ火あぶりにすると威します。
火あぶりになると死体がないため、最後の審判で天国にいけなくなることを恐れたジャンヌは一度は異端であることを認めます。

しかし嫌がらせは続き、教会の裁判なのに戦争捕虜の扱いをうけ、男ばかりの牢獄にいれられてしまいます。異端の理由は男の服を着ているからなので、女の服をきさせられたのですが、男たちに狙われるため再び男の服を着ました。

教会はそれを理由にジャンヌを「もどり異端」として火あぶりにしました。1431年5月30日19歳のときルーアンの広場で刑が行われ、ジャンヌは十字架をみせてくれといいながら亡くなりました。見ていた人々は魔女ではなく、聖女を焼き殺してしまったのではないかと恐れました。

1950年、ルーアンを訪れたシャルル7世はジャンヌの裁判のやり直しを命じます。大勢の人がジャンヌの信心について証言し、1456年ジャンヌの処刑裁判の取り消しが宣言されたのでした。

ジャンヌ・ダルクを有名にしたのはナポレオンで、それまでは「乙女ジャンヌ」などとよばれ一部で有名なだけだったようです。

20世紀にはいってからカトリック教会がジャンヌを聖人の一人に加えています。


ジャンヌ・ダルク フランスを救ったオルレアンの乙女 (学習漫画 世界の伝記)

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  • 作者: 高瀬 直子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1995/11/17
  • メディア: 単行本



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