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クララ・シューマン 愛をつらぬいた女性ピアニスト (学習漫画 世界の伝記) [人]

読み聞かせ時間 息子たちは誰も読まなかった。表紙が少女趣味?自分は15分程度で読めた
ウケ度 子どもが読んでいないのでわからないが、NHK朝の連続小説っぽい
印象度 人からみたら壮絶人生だが、本人はきっと幸せだったと思う

クララ・シューマンは1819年ドイツのライプチヒ生まれ。
父は音楽教師のフリードリヒ・ビーク、母はマリアンネでピアノが弾けて、夫の仕事を手伝っていました。
父はクララが生まれたときから一流のピアニストにすると決めていて、4歳でレッスンをはじめました。
父親はどうやらクララを一流のピアニストにしたあと、上流階級の仲間入りをさせ、金持ちや貴族と結婚させたかったようです。
指導事態は厳しいながらも情緒を大切にするもので、クララはピアノが大好きで、どんどん上達しました。
しかし、母親は独善的な夫についていけず、家をでていってしまいました。

クララは8歳で人前でピアノを弾くようになり、多くの演奏会に招かれるようになりました。
そんな中で出会ったのがロベルト・シューマンで、18歳でライプチヒ大学で法学を学んでいました。
ロベルトは音楽家か詩人志望でしたが、母親が「モーツァルトでさえも貧乏で苦労したのだから」と
法律家になるようにすすめ、親の希望に沿う形で法学を学んでいたのでした。

クララの父はロベルトの才能を認め、ロベルトはクララの家に出入りするようになります。
やさしい青年ロベルトにクララたち兄弟はよくなつき、兄のように慕うようになります。
クララたちに継母がきたときも、継母が音楽の素養がないことをクララが嫌いますが、ロベルトが「すぐれた芸術家は広い心でどんなひとでも愛せるようにならなければならない」と説得し、次第にうちとけるようになります。

クララは9歳でゲバントハウスで演奏会をひらき、天才少女ピアニストと絶賛されます。
このころロベルトはハイデルブルグ大学にいき、しばらくライプチヒを離れます。
しかし、ロベルトはどうしても音楽家になりたいと母親を説得、許可を得てクララの父に弟子入りしてもどってきました。

クララはパガニーニに演奏を聴いてもらい、「一流のピアニストになる」との言葉をもらい
演奏旅行で国王の前で演奏したり、ピアニストとしても名声を高めていきます。
演奏旅行中にはゲーテがクララを訪ねて、演奏を聞いたりしたこともありました。
ゲーテに称賛されたというので、ほかの場所でもスムーズに演奏会がひらけたといいます。
しかし、肝心のパリでの演奏会はコレラの流行のため、うまくいきませんでした。

演奏旅行中にロベルトは指を鍛えるレッスンをやりすぎて指をいため、ピアニストへの道はとざされてしまいます。クララはロベルトの曲はすべて自分が弾くとなぐさめ、二人は惹かれあうようになります。
ロベルトの母もクララに将来はロベルトと結婚してほしいと伝え、クララの心にはロベルトとの結婚の意思が芽生えます。二人は文通を続けます。

しかし、貧乏音楽家との結婚を望まない父は二人を引き離そうと、クララをドレスデンに留学させてしまいます。表向きは音楽理論と声楽の勉強でした。
父に反対されながらも、クララの実母や友人の助けをかりて二人は文通をつづけ、クララも演奏会でシューマンの曲を弾いて思いを表現していきます。
しかし、父親の説得はできず、ついに二人は裁判に訴えて結婚します。しかし、クララの父とは絶縁状態になりました。
ロベルトの母親もすでになくなっていて、二人はライプチヒのアパートで暮らし始めます。

最初のころは二人で歌曲をつくったり、シューマンの交響曲が絶賛されたり、幸せな生活をおくりますが、
繊細な神経の持ち主であるシューマンは次第に神経をすり減らし、作曲できない期間が増えていきます。
クララは子供の世話をしながら、夫の面倒をみて、さらに生活のため演奏会を行うなど、超多忙な日々が続きます。

ロベルトの病状は一進一退をくりかえしながら次第に悪化して、1854年には自殺未遂を測り、入院することになります。
ロベルトが入院した時点でクララには8人目の子供がおなかにいて、この子供が生まれた直後は働くとこもできず、万事休すだったところを、数年前に知り合いになったヨハネス。ブラームスが支え、(ブラームスを天才と紹介したのはシューマンだった)二人の友情は一生続くこととなります。

体が回復してからは演奏会を行い、病気の夫と子供の生活を支えたクララでしたが、1856年ロベルトは入院先の病院でなくなります。クララが36歳、長女真理恵が14歳、末のフェリックスは2歳でした。

夫を亡くしてからもクララは生活のため、そして夫の音楽を世界に広めるため、子供たちをベルリンの実母に預け、精力的に演奏会を行いました。
クララの精力的活動でシューマンの作品は「ドイツ国民のたましいのふるさと」と呼ばれ、盛んに演奏されるようになりました。

1878年59歳でフランクフルト音楽院の先生に迎えられます。クララとしては演奏会をつづけたかったのですが、ブラームスが「先生をやりながらも、演奏会はひらける」と説得したのです。
クララとしては演奏会でロベルトの曲を弾いているときが一番充実していたらしく、晩年まで演奏会を行っていました。

1896年脳出血で倒れ、子供に見守られながら76歳で亡くなり、夫ロベルトと同じ墓に葬られました。

クララは最初の職業としての女性ピアニストといわれています。


クララ・シューマン 愛をつらぬいた女性ピアニスト (学習漫画 世界の伝記)

クララ・シューマン 愛をつらぬいた女性ピアニスト (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: 高瀬 直子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1992/03/19
  • メディア: 単行本



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