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ライト兄弟 人類の夢・飛行機の発明者 (学習漫画 世界の伝記) [人]

読み聞かせ時間 自分で読んで15分くらいだったみたい。小3と小5
ウケ度 飛行機なんでそれなりにおもしろかったらしい
印象度 兄弟の寿命がそんなに違うとはしらなかった

ライト兄弟の兄ウィルバーは1867年、弟のオービルは1871年生まれ、
上には2人兄がいましたが、遠くの学校にはいっていて一緒には育たなかったようです。
下には1874年に生まれた妹がいました。

父親は巡回牧師をしていたので、一家は各地を転々をしまいした。
また、父親が不在のことも多かったようです。
母親はこのころにはめずらしく大学を出ている人で、二人が空飛ぶおもちゃを改造する手助けなどを
してくれていたようです。

二人は父親の買ってきてくれたゴムの飛行機を改良したり、
たこあげ大会で上げるタコを作ったりしました、二人のタコは優勝し、そのミニチュアタコをうって、
母親に手作りの椅子をプレゼントしたりしました。
そして、いつか空を飛びたいと夢みていて、父親は「二人で力をあわせればできる」といってくれました。

ウィルバーは高校でアイスホッケーをしていましたが、大けがをして、それが悪化、
選手どころか、高校もやめないといけなくなりました。
父親は心配して科学の本を与えました。徐々に科学の世界にひかれたウィルバーは
自力で本を読んで勉強しました。

ウィルバーが18歳のとき、弟のオービルは町でともだちと印刷所をしていましたが、
印刷機がすぐに壊れるのでこまっていました。友達とも喧嘩別れしてしまいました。
オービルがウィルバーに相談すると、ウィルバーは新しい印刷機をつくるのを提案し、
二人はいっしょに印刷所をやって新聞をつくることにしました。

こうして二人は新しく足踏み印刷機を作り、のちに他の印刷所からも見学にくるほどになりました。
記事のほうは、運送の仕事をしながら集め、町の話題を乗せた「ウエスト・サイド・ニュース」を
週に1回発行しました。新聞は評判になり、間もなく日刊「イブニング・アイテム」になりました。
しかし、大手の新聞社が進出すると、記事の内容は豊かになり、値段も安いので
ライト兄弟の新聞は売れ残るようになりました。
このころ母親が肺結核でなくなります。母親は兄弟の飛行をみることができませんでした。

ウィルバーはそのころ、友人から壊れた自転車を譲り受け、自分が機械いじりが好きなことを自覚していました。それもあって、二人はすっぱりと新聞をあきらめ、自転車屋を始めました。
ウィルバー25歳、オービル21歳でした。
そして中古自転車のパーツで作った自転車を安くうったりしていました。
また自転車レースにオービルが出場し、ライトフライヤー号で優勝。店は繁盛するようになりました。

このころ弟のオービルがチフスにかかり寝込むとう事件がおき、またリリエンタールが
飛行実験の最中に墜落死するという事件がおきました。
空を飛ぶ夢を思い出した二人は空を飛ぶ自転車をつくろうと決意します。

そのころ、世界でもいろんな人たちが空を飛ぼうとしていました。
兄弟はスミソニアン協会のラングレー博士の助けなどをかりて研究をすすめました。
人々はせっかく繁盛している店をもっているのにと、心配しました。
やがて兄弟は横風でも期待を安定させるための翼のねじれを思いつきます。
現在の補助翼にあたるもの(実際の補助翼はカーチスの発明です)です。
こうして実際の飛行機もつくりましたが、それは地面から2・3メートル
浮くだけのもので、操縦できませんでした。

兄弟はもっと実験をするtめに風洞実験装置をつくり翼の研究を進めました。
こうして1902年に完成した第3号グライダーは方向舵と昇降舵がついて操縦ができるようになりました。
グライダーは190メートル飛んで、世界記録を打ち立てました。

兄弟はさらに動力飛行に挑みます。時には思いつきで行動するオービルと、
実験をつみかさね、確実に動くものを作り出すウィルバーの間で、争いがありましたが、
妹のキャサリンが二人を支え、兄弟は軽いエンジンと手作りの翼をもつ飛行機を完成させます。

1903年キティ・ホークで実験をしますが、軍からたくさんの費用をもらって研究をしていた
スミソニアン協会のラングレー博士の実験が失敗し、世間は飛行機に対して懐疑的になっていました。
二人の動力飛行機はオービルの運転で成功をおさめますが、あまり注目されませんでした。

兄弟の飛行機に関心をもったのはイギリスやフランスで、1908年にはウィルバーが一人でフランスで
1時間の飛行をみせ、ヨーロッパで大きな話題になりました。
その後アメリカ陸軍からも注文がくるようになりました。
1909年に二人はライト飛行機制作会社を設立します。

1906年には二人が飛行機の発明者であるとして特許がみとめられましたが、
侵害が後をたたず、ウィルバーは裁判のため忙殺されるようになります。
その疲れからか、チフスにかかり1912年45歳で亡くなります。

ウィルバーが亡くなるとオービルはもう飛行機をつくろうとしませんでした。
他の飛行機会社でも優れた飛行機が作られるようになっていたのです。
夢をおいかけてそれを実現したことはとても幸せだったけれど、
飛行機は二人の手を離れ、1914年の第一次世界大戦では兵器として使われました。

ライト兄弟の飛行30周年記念の1932年にはオービルは姿を現しますが、
「兄とともにこの日を迎えたかった」との言葉を残しました。このころ父親もキャサリンもなくなっていました。
オービル・ライトは1984年76歳でこの世をさりました。


ライト兄弟 人類の夢・飛行機の発明者 (学習漫画 世界の伝記)

ライト兄弟 人類の夢・飛行機の発明者 (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: 熊谷 さとし
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1989/09/20
  • メディア: 単行本



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