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エジソン 魔術師といわれた発明王 (学習漫画 世界の伝記) [人]

読み聞かせ時間 小3男子自分で読んで20分
ウケ度 2回よんでいたから興味あるみたい
印象度 エジソンてそそっかしくて、いろいろ騒ぎを起こす子供だったのね。仕事も自動機械にまかせて寝ちゃったりしておちゃめ。みつかって怒られてみたり。

エジソンは1847年アメリカ東北部のエリー湖に近いミランというまちで、7番目の子供として生まれた。本名はトーマス・アルバ・エジソンで、みなにはアルと呼ばれていた。子供のころから「なぜ?」と聞くことが多い子だったが、両親、特に母親はそんなアルに辛抱強く答えてくれ、その才能を認めてくれた。小学校へいっても「なぜなぜ」で先生に嫌われていたため、昔教師をしていた母親が勉強を教えてくれた。のちには家の地下に実験室も与えてくれた。
しかし、探究心が強いあまり、納屋を燃やしてしまったり、友達にフットウ散を飲ませたり失敗もたくさんして、そのたびに両親は厳しくしかった。
小さいころから商才もあり、野菜や果物を売って実験費用を稼いだりしていたが、12歳の時汽車の車掌スティーブンソンと仲良くなり、売り子をすることになる。このとき汽車にのりおくれそうになったアルをスティーブンソンさんが助けようようとして、耳を引っ張り耳が悪くなってしまうが、「命がたすかったのだから」と前向きに考える子供だった。汽車のなかでも手荷物室のすみに実験室をもらっていたが、火事でおこられたておじゃんになってしまう。
その後電信に興味をもち、自分で勉強するようになる。駅長の子供の命をすくったのをきっかけに2級電信技士となりカナダで勤めるようになったが、定時送信機をつくって自分は居眠りしておこられたりしていた。その後、汽車が正面衝突しそうになるトラブルがあり、このときはアルのせいではなかったが、訴えるといわれ、カナダを逃げ出す。
 アメリカにわたり、トーマス・エジソンと名乗り、職を転々としながら発明に没頭する。しかし発明品第一号「投票記録機」は少数意見が無視されると実用化されなかった。
 その後も働きながら発明を続け、1869年には会社が買収されるのをきっかけに友達と独立「ホープ・エジソン会社」をたちあげ、1年で7つもの特許をとり、会社は繁盛するようになる。
24歳のとき、ニュージャージーに研究所兼工場をつくり、結婚。そのころ母が亡くなる。
1876年にはメンロパークという小さな村に工場をたて、電話の研究に没頭するが、ベルに先をこされてしまう。しかし、あきらめず、声を大きくする工夫をし、マイクロフォンのもとになるものを発明する。その後、蓄音機、電燈、映像を記録するキネトグラフなど発明し魔術師と呼ばれることになる。いずれもあきらめず粘り強く取り組んだ。 
 1914年には研究所が火事で燃えてしまうが、「がらくたを整理できてよかった」と語り、あいかわらず仕事にまい進していた。
 エジソンの会社から独立した自動車王フォードとは親友で、フォードの博物館とエジソンの電灯50年祭がいっしょにおこなった。しかし当日に倒れ、その後は自宅で仕事をするようになり、1931年になくなった。アメリカの家庭では数分間電気を消して、その死を悼んだという。

有名になってから「天才」とよばれる成功の要因をインタビューされて
「天才とは99%の努力と1%のひらめき」と答えたのはよくしられている。




エジソン 魔術師といわれた発明王 (学習漫画 世界の伝記)

エジソン 魔術師といわれた発明王 (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: かたおか 徹治
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1989/09/20
  • メディア: 単行本



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