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ナイチンゲール 愛に生きたクリミアの天使 (学習漫画 世界の伝記) [人]

読み聞かせ時間 小3男子自分で読んで20分(途中でやめたみたいだけど、最後まで読むとそんなものだったと思う)
ウケ度 途中で邪魔が入ったら、それっきりだからたぶんあんまりおもしろくなかった
印象度 ナイチンゲールってイギリスのお金持ちの娘だったんだ。写真は意志の強い婦長さんんな顔していた。漫画では美人でニコニコしてたのに。こわい。

フローレンス・ナイチンゲールは1820年イギリスの裕福な貴族の次女として生まれた。生まれたのがイタリア旅行中でフィレンツェだったので、フローレンスと名付けられた。
小さいころから動物が好きで、傷ついた生き物の世話など献身的にする少女だった。貴族の娘だったので、社交界にでて、幸せな結婚を望まれていたが、本人は「困った人を助ける仕事がしたい」と看護婦を目指す。当時看護婦は身分の低いひとの仕事とされていたため、両親が反対したが、フローレンスはあきらめなかった。独学で勉強を続けていた。
27歳の時イタリアで博愛事業研究に熱心なイギリスの前陸軍大臣シドニー・ハーバートと知り合い、彼の学校を手伝うようになる。30歳のときついにドイツのカイゼルスベルトの看護婦養成所で教育を受け、33歳でロンドンの慈善病院の総婦長になる。
この年、クリミア戦争がおこり、大勢の負傷兵がでた。現地の病院のひどいありさまが報道され、看護婦が派遣されることになるが、フローレンスはリーダーとして志願する。38人の看護婦と現地にわたり、衛生状態や環境の改善に身銭をきって励み、病院に運ばれた兵士の死亡率を40%から2%に劇的に減らす。ただ、環境は過酷で軍医の反発などもあり、看護婦は最終的に16人しかのこらなかったという。
このとき、夜中にランプをもって病室を巡回するフローレンスを兵士たちは「ランプを持つ天使」といった。フローレンスたちの活躍はイギリスでも報道され、大きな反響を呼ぶが、フローレンスは名誉も富も求めず、イギリスに帰国するときも一人でこっそり帰国するような人だった。
その後は看護に関する本を描いたり、イギリスの人たちが感謝のしるしとして送ったナイチンゲール看護学校の校長を務めて後進の指導にあたった。
1859年にスイスのアンリー・デュナンが国際赤十字運動を起こしたとき、ナイチンゲールの働きが赤十字のお手本だと述べた。

ちょっと子供にはどこがすごいのかわかりにくいかなあ。


ナイチンゲール 愛に生きたクリミアの天使 (学習漫画 世界の伝記)

ナイチンゲール 愛に生きたクリミアの天使 (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: よしかわ 進
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1989/09/20
  • メディア: 単行本



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